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 1960年の10月から11月にかけて、東京・日本橋の三越本店、大阪・大丸心斎橋店、名古屋・松坂屋本店の3百貨店で、日立製作所のパラメトロンコンピュータ「HIPAC101B」が1週間設置されたことがあった。職業診断や性格診断、相性診断の実演に多くの人が押し寄せたという。完全空調ガラス張りの計算機室から、百貨店のオープンな催し物会場にコンピュータが引き出されたのは、これが初めてのこと。人いきれで温度が上昇し、コンピュータはしばしば動かなくなった。裏の扉を開けドライアイスと扇風機で冷やしたり、診断希望が殺到したため、巴川製紙所の黒色8単位紙テープが底をついたりと関係者にとっては冷や汗の連続だった。大関柏戸も訪れて相性診断。あこがれの島倉千代子が打ち出されて「にっこり」というエピソードも報告されている。

 この風景は、日立創業半世紀の躍進譜をうたう記念展での一コマだ。それから50年の日立創業100年は2010年である。だが、不眠不休で百貨店に詰めた当時の熱血社員は意外にも、「日立に創業100年は来るのか?」という疑念を発している。「日立がボロボロになり空中分解することを恐れている」と、このOBは話す。

 その理由は、大前研一ビジネスブレークスルー社長が10月25日のセミナーで、「日立を解体して切り売りした方がいい。村上ファンドなら買うね」と厳しい評価を下したからだ。「日立出身とはいえ、とんでもないことを言う」と憤ったが、「原子力関係のOBは、GEとの提携は実質的に屈辱的な事業売却だと観測しているし、情報・通信事業も赤字のHDD事業を抱えていては営業利益率7%の達成は難しい。そうなると情報・通信の存続自体も怪しくなる。日立は2010年をどんな業態で迎えるのか?」。IT事業のOBは日立ブランドの融解を本気で心配する。

 社長在任7年間での累計純利益が2000億円の赤字だったことを根拠に、「凶作時代」とマスコミでたたかれた庄山悦彦前社長。その後を継いだ古川一夫社長は11月16日、日立ブランドへの信頼を回復するための「経営方針」を説明した。ハイライトは「事業に聖域なし。2009年度までにコミットした営業利益率を達成できない不採算事業は淘汰する」(古川社長)というくだりである。経営は結果責任であるため、この不退転のコミットは重いと言わざるを得ない。しかも創業100年その年ではなく、その前年である2009年度を目標期限として切ったあたりが、「中期計画だから」ということだけでは片づけられない憶測を呼んでいる。

 直前の日立IEプラン!)および!)は、いずれも実現できなかったと古川社長は言う。その理由はいろいろあろうが、経営が本来の目的を勇気をもって実践できなかったところにある。ましてや、これまでの日立社長は必ず利益の源泉である工場長経験を登竜門としてきたが、古川社長は工場長経験のない初の、言うならば“管理型”社長。現場経験不足が実践面で多少弱いと指摘する向きもないではない。しかし、これも結果責任という観点から見れば、出身母体に拘泥することなく「果敢なる決断」を下せるからむしろプラスだ、という反論もある。

 古川社長の説明で気掛かりだったのは、「個」と「総」の関係だ。「不採算事業からすべて撤退」の言葉はきれいだが、日立という大きな幹が創業100年後の将来も健康でより大きな「この木なんの木」に育つための全体最適の戦略が乏しかった。日立が言う「コングロマリット・プレミア」が何を意味し、今回の経営計画でどんなコングロマリット・プレミア・モデルを登場させようとしているかが見えない。戦略は言うまでもなく選択と優先度で決まるが、全員が共有できる企業全体のグランドデザインが明示されてこそ、初めて各論が輝いてくる。個別損益での事業選別は、昨今のグローバル経営の発想におもねった株式市場向けのものと察する。「目指す経営はGEでもIBMでもない。日立は日立だ」と断じた古川社長の「(技術の)日立らしさ」に期待したい。