東日本大震災から3年。最近では避難などの指標として、想定被害レベルを以前より高く見積もった新しい「想定」が高い関心を集めるようになった。
危機管理において、実はこの想定こそが大きなリスクになることがある。
想定ゆえに安全だと思い込んだり、想定被害のあまりの大きさにリスク回避を諦めたりするようになるからだ。
企業は「想定」にどう向き合えばいいのか。
BCP(事業継続計画)の根底に関わる命題を、具体的事例を交えて掘り下げる。
(中田 敦)
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「想定外」の規模だった2011年3月11日の東日本大震災からまもなく3年。国や地方自治体は東日本大震災を教訓に、以前よりも想定被害レベルを高く見積もった新しい想定を次々と公開している。
例えば、「南海トラフ」を震源域とする「南海トラフ地震」に関しては、想定する地震の規模を従来の「マグニチュード(M) 8」から、東日本大震災と同じ「M9」に改めた。この新想定では、伊豆から九州に及ぶ太平洋沿岸部に、最大で20~30メートル(m)の津波が押し寄せると推計されている。
南海トラフ地震の被害想定は、大阪府や愛知県などの地方自治体も公表している。また内閣府や東京都は「首都直下型地震」についても、新しい想定を公表している。
東日本大震災を機に、次々と改められる想定。しかし、防災の専門家である群馬大学理工学研究院広域首都圏防災研究センター長の片田敏孝教授は、「新想定が地域住民に新たな危機をもたらしている」と指摘する。
具体例を紹介しよう。南海トラフ地震の新想定で最大34mの津波が押し寄せると推計された、高知県黒潮町のケースである。
大きすぎる想定に住民が「避難放棄」
内閣府が2012年3月31日に発表した南海トラフ地震の新想定では、太平洋に面するこの町には最大34mの津波が地震発生から最短2分で到達するとされた。34mという推計津波高は日本で最も高いものだ。
黒潮町役場情報防災課の松本敏郎課長は、新想定が発表された際の住民の反応をこう振り返る。「町民からは防災の問い合わせが殺到するのではないかと身構えたが、実際には、問い合わせは1件も無かった」(松本課長)。
というのも「巨大津波の想定を前にして、町民の多くが即座に避難を諦めてしまった」(同)からだ。
防災学ではこのような町民を「避難放棄者」という。住民がこう考えるのも無理からぬことだが、このような諦めの心境が、実際の災害よりも深刻な危機を招く恐れがある。
なぜなら「最大で34mの津波」は「数百年に1度」発生するものであって、必ずしも次の津波がそうなるとは限らない。だが想定が一人歩きして人々が避難を諦めるようになると、想定よりも低い津波が来た場合、本来であれば助かったはずの命が失われることになる。これが新想定が生み出した「危機」である。
「想定」で安心は禁物
南海トラフ地震の新想定は、住民に「避難は不可能だ」と思わせて新たな危機を生み出した。一方、東日本大震災では、住民が想定を基に「自分は安全だ」と思った結果、命を落としたと思われる事例が報告されている。
図は、東日本大震災で10m以上の津波が押し寄せた岩手県釜石市・大槌湾周辺(鵜住居地区)における、死者・行方不明者の住所と津波の関係を表したものである。
図の中で赤や黄、緑色で塗られている領域は、事前に想定された「津波浸水予定範囲」だ。しかし実際には、津波の規模は想定をはるかに上回り、青の太線で示した地域まで押し寄せた。各色の丸印は、死者・行方不明者が震災前に居住していた地点を示している。
この図から分かるのは、死者・行方不明者の多くが、津波が来ないと想定されていた地域の住民だったということだ。これらの地域の住民は、「自分の住む場所には津波が来ないだろう」と考えて避難をしなかったために、命を失った可能性がある。
こうした「自分は大丈夫」と無意識に思ってしまう人間の心の在り方を「正常化の偏見(normalcy bias)」という。これは誰しもが持ち得るものだ。
その一方で釜石市では、小中学校に通う児童・生徒のほとんどが、自らの判断で高台に避難して命を守っている。これは、釜石市内の児童・生徒が、「想定を信じるな」という防災教育を受けていたからだ。
想定は、防災計画を立てる上で欠かせない「前提」だ。しかし、想定の受け止め方を誤ると、命を脅かすことすらある。我々が東日本大震災から学んだのは「想定外」の怖さではない。我々が学んだのは、想定と正しく向き合うことの難しさと怖さである。
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