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高密度に集積できる超省電力のマイクロサーバーが、ビッグデータ処理用途などで注目されている。そのマイクロサーバーを、今から10年以上も前に開発した日本企業がある。ぷらっとホームだ。同社の鈴木友康氏は世界の隅々にまで設置できる、小型で耐久性に優れたサーバーを追究する。

(写真:新関 雅士)

マイクロサーバーを10年以上前に開発・販売されました。

 昨今、マイクロサーバーという言葉がどんどん使われるようになっているのは、すごくいいことだと思っています。当社は2000年にマイクロサーバー「OpenBlockS」を発売しました。発売以降、OpenBlocksシリーズはいろいろなところで使われていますが、弱点はこれまで認知度が低かったこと。それがマイクロサーバーという言葉が広まり、メジャーな製品カテゴリーに属すことで、一つ階段を上った感があります。

 ただ、同じマイクロサーバーでも、超高密度サーバーのようなものと当社の製品とは観点が違うので競合関係ではありません。

どう違うのでしょうか。

 超高密度サーバーの用途はビッグデータ解析などが代表的です。業務アプリを動作させることが念頭にありますよね。当社のマイクロサーバーは、ルーティングなどのネットワーク関連のアプリを搭載することが前提です。今はサーバーメーカーにとっても、ネットワークが不可欠です。そのため当社は、日本のサーバーメーカーの多くと取り引きがあります。

ネットワークに頭脳が必要

 今のM2M(マシン・ツー・マシン)は、従来のそれとは、まるで性格が違ってきています。以前のM2Mで扱っていたのは小さなデータ。例えば自動販売機でどの商品が、どれだけ売れたかを1日1回転送するという具合です。

 ところが今は、橋梁の揺れの計測まで対象になっている。これは1秒間に何万もの波形を集積するわけで、データ量は膨大。特定のデータのみ暗号化するとか、データをモニターしておいて異常値が出たときだけ送るとか、伝送処理も複雑化しています。

 いわば第2世代とも言うべきM2Mには、ネットワーク側に頭脳がいるわけです。ところが普通のルーターはルーティングしかできません。その点、当社のマイクロサーバーならアプリを搭載し、処理を追加できる。今、引き合いが爆発的に増えています。

開発のきっかけは。

 2000年当時は、Linuxサーバーを開発・販売していました。1996年に「プラットホーム・ファクトリーサーバ」というブランドで、Linuxを正式にサポートしたサーバーを発売し、これが売れに売れた。2000年というと、Linuxがそれほど認知されていない時代です。その頃、大手調査会社の資料を見ると日本のLinuxサーバーの出荷台数は確か6000台となっていましたが、当社は年間約8000台を出荷していました。

 ただし、基本的にはインテルアーキテクチャーのコンピュータに、Linuxを搭載するという事業モデル。比較的容易に他社も参入できるわけです。海外には米IBMや米ヒューレット・パッカード(HP)があるし、国内のメーカーもLinux対応を始めるかもしれない。そう考えると、小さい会社が残っていけるような生易しい市場ではなかったんです。

インテルCPUでは実現できない

(写真:新関 雅士)

 当社として、いかに優位性を保てるかをすごく慎重に考えていたのが、2000年前後でした。

 そこで将来爆発的に伸びて、なおかつ自分たちの強みを生かせる分野は何かを徹底的に調査した結果、行き着いた先は一つ。インターネットがどんどん広まって、どこでも使える時代がくるということ。ならば、ルーティングなどのネットワーク機能も担えて、どこにでも置けるようなサーバーが必要だと考えたんです。

 当社は創業以来、ネットワークをすごく重視していました。何も無くていいから、ネットワークにきちんと対応できるサーバーを作ることを目指しました。ファンもハードディスクもいらない。それで完成したのが、手のひらに載るサイズのサーバーだったんです。

 ただ、当時はインテルのCPUを使う限り、このサイズは実現できません。すごく熱を出すから、大きくなってしまう。そこでたどり着いたのが「PowerPC」です。米アップルと米IBM、米モトローラが作ったCPUで、対応するLinuxカーネルがある。何より消費電力がものすごく少ない。これを使えば、僕たちが求めるコンピュータができると思いました。

反響はどうでしたか。

 最初の3~4年は個人のとんがった人たちだったり、企業でも研究目的の人たちが買っていきました。ただし、当時は用途がまだ見えない時代でしたね。堅実に売れてはいましたが、ビジネスになるほどではない。

 転機は、後にKDDIに吸収合併された電力系通信会社のパワードコムに採用されたことです。彼らは後発だったから電話も安くしないといけないし、設備をいろいろと工夫してました。どんどん採用されていきましたね。

 それを機に、製品のコンセプトを変えました。プラスチックのケースだった筐体を金属製にして、耐久性や信頼性を高めるようにしました。2003年頃の話です。

今後の抱負は。

 今後はとにかく、世の中がくまなくネットワークでつながっていく。そんなとき、今までサーバーを置きたかったけど置けない、情報を取りたかったけど取れない場所って無数にあるはずです。

 そこに当社がやるべき領域はたくさんあって、徹底的にやります。海の中でも空の上でも使えるサーバーを提供する。さすがに海の中ではまだ使われていないんですけどね。気象データを収集するために、気球に載せて使われていたりはします。そのためには、本当に普通の話ですが、より小さく、より高性能にといった製品の改良こそがやるべきことだと思っています。

 今は1984~85年や1995~96年のときの感覚と似ています。電話線でデータ通信ができるようになったのはすごいことだったし、インターネットに個人のメッセージが載せられるようになったのもすごかった。M2Mはネット上にデータが流れるのは同じだけど、人間が介在しないですよね。大きな変化だし、当社がそこに全力で集中できているのはすごく幸せです。

Linuxにサポートされるサーバー

 ぷらっとホームは、コンピュータショップ「本多通商」を秋葉原で営んでいた故・本多弘男氏と、学生時代に客として出入りしていた鈴木氏が設立した。同社は創業間もない1993年にLinuxの販売を開始。「米国のディストリビューターに電話して、FAXを送ってCDROMを空輸しました。国内でLinuxを販売したのは恐らく当社が初めてだったと思いますよ」と、鈴木氏は笑いながら振り返る。

 2013年には、同社の「OpenBlocks Aファミリ」がLinuxの公式カーネルサポート対象機種に加えられた。「LinuxをサポートするのとLinuxにサポートされるのは180度違う。当社は小さい会社ですが、世界中のエンジニアがサポートしてくれる」と、胸を張る。

鈴木 友康 氏
ぷらっとホーム 代表取締役社長
鈴木友康氏は1989年東京大学教育学部卒業後、日商岩井に入社。1993年、「本多のオヤジ」の愛称で秋葉原に通うコンピュータ好きユーザーに親しまれた故・本多弘男氏と共にぷらっとホームを創業した。1996年、同社の代表取締役副社長に就任。2001年から現職を務める。