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吉野家ホールディングスの安部修仁代表取締役社長
吉野家ホールディングスの安部修仁代表取締役社長
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 「次々に方針が変わるのを恐れて対応が先送りになることだけは避けたかった。現場のリーダーには『朝令暮改を奨励する』と宣言した」──。吉野家ホールディングスの安部修仁代表取締役社長は,東京都内で開催中の「エンタープライズ・リスク・マネジメント2008」「Security Solution 2008」の基調講演に登壇。「危機を乗り越える経営 -- リスク管理,コンプライアンス,連結経営と企業力の向上」と題して,米国産牛肉の輸入停止という危機をいかに克服したかを振り返った。

 「米国産牛肉にBSE(牛海綿状脳症)発生の疑い」というニュースが安部氏(当時は吉野家ディー・アンド・シー社長)のもとに飛び込んだのは2003年12月24日。その後,米国産牛肉の輸入停止措置が取られ,吉野家は主力商品である牛丼の販売中止を余儀なくされた。その結果,2004年度(2005年2月期)の経常損益は12億円弱の赤字となった。それまで17~18%の経常利益率を誇っていた吉野家にとっては,「1980年の倒産以来,空前絶後の事態だった」(安部氏)。しかし翌年には黒字回復。2005年度以降,事業収益は2ケタ増を続けるなど,見事な復活を遂げた。

 講演で安部氏はまず,危機発生時の「初動」の重要性を強調。第一報が入ってからの行動を振り返った。2003年12月24日に報告を受けた安部氏は,会社に向かう車の中から,商品担当,営業担当,財務担当などの幹部に連絡し,必要な情報収集と対応方針の検討を指示。その日から社内の応接室を対策本部として対策に奔走した。その後の2日間で牛丼の販売を当面休止する方針と代替メニューを決め,30日までにフランチャイズ加盟店への方針説明と東京証券取引所への営業方針変更の報告を終えた。この初動の早さが早期回復につながったわけだ。

外部環境の変化はきっかけに過ぎない

 牛丼の提供休止という選択をしたのは,米国産牛肉以外を使った牛丼では,本来の味を維持できないと判断したからだ。安部氏は「当社が重視しているのは,新規の顧客の獲得よりも,一人の顧客にいかに来店頻度を高めてもらうか。『いつもの吉野家』という顧客の期待を裏切ってはいけない,というのが最優先事項だった」と,決断の理由を説明する。

 決断後は,牛丼以外の代替メニューの開発と新しい事業の確立にまい進した。そこで最も重視したのは,社内や加盟店の混乱を防ぐことだったという。安部社長は「組織が破綻する原因は内部の崩壊。外部環境の変化はきっかけに過ぎない。社内や加盟店が『つぶれるに違いない』と考えて混乱することが,破綻の最も大きな要因になる」と説明。「危機管理の本質は,その環境変化をどう受け止めて,どう行動するかだ」と指摘した。

 そのために取り組んだのが,「政策論」「技術論」「観念論」の三つの観点で,同時並行で対策を実施することだった。例えば政策面では,3カ月単位で代替メニューを定番化していく方針を立てた。2004年1月からの3カ月間は,代替メニューをトライする時期に位置付けた。次の3カ月はメニューを絞り込んで定番メニュー化していくフェーズとした。「メニューをトライする過程で発生するコスト面のロスには目をつむった」(安部氏)。そして7月以降,4種類の定番メニューの提供にこぎつけた。

『勝つまでやるから必ず勝つ』と宣言

 一方,内部の混乱を防ぐために最も重要なのは,精神的な「観念論」の部分だったという。それまで牛丼単品で事業を行ってきた同社にとって,次々と新しいメニューを試しながら新しい事業形態を確立していくことは大きなチャレンジだったからだ。そのためには,短期間で次々に方針が変わることも容認する必要があった。

 安部氏は「社内のリーダーには,部下に対する指示がころころ変わるのは悪いことという意識があった。しかしそれでは,変化が必要なときに対応が先送りになるだけ。リーダーには,命令の変更を躊躇するなと指示した」という。つまり「朝令暮改の奨励」である。同時に,社員やパートには「向こう3カ月は何が起こっても腹を立てるな」と話し,組織全体で変化に対応できる体制を作っていったのである。

 安部氏は最後に「社内には『勝つまでやるから必ず勝つ』と宣言して一丸となって取り組んだ。仮説通りにいかないことはいくらでもある。それでも,よいものはよいと信じてやっていけば大丈夫だと確信していた」と振り返り,講演を締めくくった。