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写真●米SixApartの宮川達彦氏
写真●米SixApartの宮川達彦氏
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 2008年9月5日のITpro Challenge!において,米Six Apartの宮川達彦氏が「Why Open Matters」と題し,プログラマである自身の半生を振り返る内容の講演を行った。キーワードは,「Open Software」「Open Community」「Open Platform」だ。

価値観を一変させたインターネット

 宮川氏は1977年,神奈川県横浜生まれ。父親がプログラマだった経歴を持つ以外,プログラミングとは関係性の少ない少年時代を過ごしてきた。

 それが一変したのはインターネットに出会った1996年。自身でサイト構築などを行うまでにネットの世界に引き込まれ,「一日中ネットに触れている状態が続いた」(宮川氏)。アルバイト先の米技術関連出版社「O'Reilly Media」の日本事務所では,サイト構築のプログラムを書いた。

 大学ではその後,コンピュータ・サイエンスを専攻。1999年にはライブドア(当時はオン・ザ・エッヂ)でプログラミングのアルバイトを始めた。Perlを主言語にプログラムする現在のスタイルはこの頃からだ。

 アルバイトを続けている中で,月曜が納期にもかかわらず,金曜日の夕方にまだ何もできていないという厳しい開発案件に投入される。しかし,宮川氏は土曜日には中核であるメール登録配信プログラムを書き上げ,当時,同社の社長だった堀江貴文氏の目にとまる。「エースプログラマ的な存在」に抜擢された。

 2001年1月にはテクニカル・ディレクターとして同社に入社。1年後の2002年春には,Webアプリケーションフレームワークである「Sledge」を開発し,2003年にはこれをオープンソース化した。増員に次ぐ増員で一人ひとりに徹底した教育をするのが難しい中で,オープンソースであれば,入社一カ月後の新入社員に対して「事前に勉強してきて」というようなこともできて効率的だったと宮川氏は振り返る。

自分の成果物を見て評価してもらいたい

 しかし,このオープンソース化は宮川氏にとって,もっと重要な意味を持つ。根底にあるのは,プログラマという職業の価値を向上させたいという思いだ。

 「自分が書いたコードが財産になっている感じがしない」---。プログラマたちの仕事の成果は,外からは見えづらい。ましてや,受託開発案件などでは,外から見えづらいことに加え,成果物さえ自分たちのものではなくなってしまう。

 「人間には,自分の作ったものを見て評価してもらいたいという基本的な欲求が備わっている。音楽家などはそれが分かりやすい。しかし,オープンソースなら,同じ人間のプログラマにおける欲求やエゴであっても,適えられると考えるようになってきた」

 Perlモジュールを登録するCPANにソフトウエアを登録しはじめ,2003年に世界で最も多くのモジュールを登録した作者になる(現在は3位)。また2003年に渋谷周辺のインターネット関連企業に勤務しているPerlプログラマのコミュニティー「Shibuya Perl Mongers(Shibuya.pm)」を開始。2004年には当時,ニフティに勤務していた伊藤直也氏(現はてな執行役員最高技術責任者)と共著で「Blog Hacks」を上梓した。

 「同業他社に勤めるプログラマ同士が情報交換をし,共著の書籍を出すのは,今までであれば考えられないこと」だった。しかし,オープンコミュニティの中で,自分の職場にとらわれない情報交換をすることの価値の大きさを肌で感じるようになった。

 こうした交流の積み重ねは,Perlの国際イベント「YAPC::Asia 2007 Tokyo」として結実。「オープンだからできた,みんなで作った」大イベントとなった。Perlの貢献者に与えられるWhite Camel Awardを,日本人として初めて受賞した。「YAPC::Asiaを運営したみんなで受賞した,自分が代表で受け取ってきたと思っている」(宮川氏)。

 2005年1月にブログを生み出した米Six Apartへ入社した。「Six Apartの創業者BenとMenaが来日した際に面会し,履歴書を送ってくれと言われた。CPANのアドレスを送ったところ,翌朝,メールが送られてきた。「あなたの書いたモジュールをすべて見た。一緒に働いてほしい」

 現在Six Apartで,OpenIDの開発者とともに働き,Mobile link DiscoveryやOpen Media Profile for Open SearchといったAPIを開発した。「日本で仕様を追いかけるだけでなく,コントリビュートするほうに回って欲しい。日本の技術者はそれだけの力がある」。宮川氏はそう呼びかける。

 「大企業には一緒にオープン化の流れを促進してもらいたいし,個人や中小企業にはその環境を生かして新しいアプリケーションを次々と開発してもらいたい。重要なことは,今置かれている状況にとらわれないこと。コードはあなた自身を変える。それはチャンスだし,それが力だ」

ITPro Challenge 2008 で講演しました&資料公開(宮川氏のブログ)

■変更履歴
Six Apartの創業者をMinaとしていましたが、正しくはMenaです。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2008/09/08 14:45]