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写真●IT Japan 2011で講演するジャーナリストの田原総一朗氏(撮影:皆木優子)
写真●IT Japan 2011で講演するジャーナリストの田原総一朗氏(撮影:皆木優子)
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 「今の日本企業の問題は攻めの経営ができていないこと。周囲の意見をあえて聞かない“チャレンジする経営者”が必要だ」。ジャーナリストの田原総一朗氏(写真)は2011年7月13日の「IT Japan 2011」の基調講演で、国内企業の経営者に苦言とエールを送った。

 田原氏は「日本の経済の状態は悪くない。おそらくこれから景気は良くなる」と予想する。その根拠として「日本テレビとテレビ朝日の営業担当部長にCMの入り具合を聞いたら、入りきらないくらい多数になっているという回答だった」ことを挙げた。3月11日の東日本大震災から続いていた自粛ムードは終わろうとしていると見る。

 景気が上り調子になりそうななか、問題となるのは経営者の姿勢と指摘する。「私は小学校5年生のときに終戦を迎えた。そのため、ジャーナリストになってから日本の高度成長の立役者となった多くの経営者に取材できた。当時の経営者と今の経営者を比べると『力仕事をしない』と感じる」。

 田原氏の言う「力仕事」とは「新しいことにチャレンジすること」。ソニー共同創業者の盛田昭夫氏、京セラ創業者の稲盛和夫氏、合併して新日本製鐵を創設した八幡製鐵社長の稲山嘉寛氏、富士製鐵社長の永野重雄氏といった経営史に名を刻む経営者を挙げ、チャレンジすることの重要性を強調した。

国内唯一の顧客を皮切りに販路拡大したソニー

 ソニーの強みは井深大氏が今までにない新しい製品を開発すると同時に、盛田氏が販路そのものを開発する姿勢にあったと田原氏は評価する。「ソニーがソニーらしくなったのはテープレコーダーから。十数万円もする大きくて重たいテープレコーダーを開発した。いったいこんな製品を誰が買うんだ。盛田さんは必死に売るための道を探して、日本でただ一つの買い手として最高裁判所を見つけた」。

 最高裁で導入されたことを皮切りに、ソニーはテープレコーダーをさらに安価にする開発を進め、全国の裁判所に買ってもらえるようになった。「盛田さんは道を作った。新しい製品を作る努力以上に、売るための道を作る努力が必要だ」。田原氏は言う。

 ソニーはその後も小型化、軽量化、低価格化の努力を重ねた。「そうしたなかで盛田さんは学校が視聴覚教育に力を入れていることをキャッチした。そこで当時の文部大臣にテープレコーダーを紹介して、全国の学校にテープレコーダーが売れるようになった」。

 盛田氏の逸話を紹介した田原氏は「高度成長を作った人は例外なく道を作っている。これこそがチャレンジだ」と強調した。

無理を重ねて日本社会の壁を突破した京セラ

 京セラ創業者の稲盛氏は碍子メーカーを経て、1959年に京都セラミツクを立ち上げた。「日本はコネ社会で顔社会。稲盛さんは日本企業にテストすらしてもらえず、セラミックは全く売れなかった」。そこで稲盛氏は米国企業ならテストしてくれるかもしれないと考え、米国への進出を決めたという。

 「稲盛さんは米国に行く社員に対して『米国に墓を作るつもりで行け』と送り出した。本社を見ないで米国人になりきれという指示だった」。営業攻勢の結果、米国のコンピュータメーカーに京セラの製品が採用された。そして、そのコンピュータが日本に輸入された。

 「そうなると日本企業の見方が変わった。『京セラは米国で売れているらしい。それなら買ってやろうか』となった」。最初に京セラから製品を買おうとしたのは松下電器産業(現パナソニック)。ところが松下側の言い値では京セラが赤字になる金額だった。「松下は『赤字になるかどうかは京セラの問題であって、松下はこの値段でしか買いたくない』と言った。稲盛さんはこれに対して、松下の言い値で売れるように製品を開発した」。

 この経験から「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめた時が失敗である」という稲盛氏の名言が生まれたという。松下への納入に成功した京セラは、その実績で日本中の企業で販売を伸ばしていった。

 「日本社会の壁を突破するために無理をして米国に進出した。その後、松下の無理な要求に答えた。稲盛さんは無理に無理を重ねて道を作ってきた」。新たな“道”を作るには相当な馬力が必要であることを、田原氏は稲盛氏を例に挙げて示した。