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 “組み込み”が存在感を増している。

 組み込み機器,組み込みソフト,組み込みOS,組み込み技術者といった文字が,新聞や雑誌に頻繁に登場するようになった。自動車や情報家電,携帯電話といった組み込み機器(機械)の市場の活況に引きずられる格好で,スポットライトを浴びている状態である。これらの機器が,技術的にも産業的にも日本の将来にとって重要な位置を占めていることも,注目を集める要因の一つといえる。

 もう一つの要因に,国内の情報サービス産業が組み込み事業の強化を急速に進めていることがある。日本IBMやNEC,CSKなどが今年に入って組み込み事業部門を相次いで立ち上げた。他のITベンダーが今後,同様の動きに出るのは間違いないところだ。ある大手ITベンダーの幹部はこう語る。「単価が下がっているエンタープライズ系のシステム構築は,残念ながらうまみが低下している。もちろん今後ともニーズはあるが,市場としての成長性に疑問を感じる。組み込みソフト開発事業への進出や事業の強化は,ITベンダーが成長し生き残る上で避けられない選択だ」。

 ちなみにここで言う組み込みとは,より正確には「機器組み込み型システム」あるいは「機械組み込み型システム」を指している。要するに自動車や情報家電に搭載されたコンピュータ・システムのことである。このコンピュータ・システムが内蔵された製品が組み込み機器(機械)であり,そこで動くプログラムが組み込みOSあるいは組み込みソフト,設計や開発,テストにいそしむエンジニアが組み込み技術者ということになる。

内憂外患が組み込みを襲う

 表舞台に躍り出た組み込みの状況に,多くの方は次のように考えているのではないか。

 日本の組み込みは強い。情報システムの分野では,マイクロソフトやオラクル,インテルといった米国企業に主導権を握られっぱなしだったが,今度は違う。ハードとソフト,メカを擦り合わせながら開発する組み込みシステムは日本企業が得意とするところ。コンピュータを組み込まれた機器が遍く存在するユビキタス時代こそ,日本の出番。品質問題や不具合が騒がれているが,それは米国も同じ。組み込みを前面に押し立てて,日本は再び元気と活気を取り戻せるのではないか,と。

 しかしこうした見方は,残念だが組み込みの一面を見ているに過ぎない。組み込みシステムは,実は危うい土台の上に成り立っている。

 古くからの知り合いの技術者は,組み込み業界関係者が集まったパーティの会場で筆者にこうもらした。「自動車やデジタル家電などの組み込みシステムは世界に通用するとよく言われる。製品としての強さが,システムが強いというイメージにつながっている。でも,組み込みソフトはどうだろうか。実は,強いと言われたことは記憶にないし,自覚も乏しい。こと組み込みソフトに関しては,これから正念場を迎える」と。

 くだんの組み込み技術者が顔を曇らせる要因は,大きく二つある。一つは組み込みソフトの開発体制にかかわる問題。国内の組み込みソフト業界の内的な要因である。もう一つは,欧米が着々と追い上げを図っているという外的な要因。まさに内憂外患が,組み込み業界を悩ませている。

欧米が戦略的に攻めてきた

 もう少し具体的にみていこう。まずは外患である。

 外患を象徴するような場面に先日出くわした。情報処理学会にこの4月に設けられた「組込みシステム研究グループ」の設立記念シンポジウムで行われたパネル・ディスカッションでの出来事である。組み込みソフト開発/研究の最前線で活躍するパネラー諸氏から,このような発言が相次いだ。

 「日本の組み込みソフトの品質は欧米と比べて決して高くない」。「日本の組み込みシステムは本当に強いのだろうか。今はそうかもしれないが,5年後,10年後を考えたときには大いに疑問」「組み込み分野に関して欧米は戦略的に動いている。危機感を持っている」。

 とりわけ彼我の差が大きいのは,組み込み分野に対して工学的にアプローチするか否かという点。例えばコンピュータ関連の学会ACM(the Association for Computing Machinery)は,組み込みに特化した論文誌「Transaction on Embedded Computing Systems」を3年前に創刊するとともに,研究組織のSIGBED(Special Interest Group on Embedded Systems)を立ち上げた。この4月にようやく研究グループ設立に漕ぎ着けた日本との差は小さくない。

 このほかパネル・ディスカッションでは,「Embedded」をタイトルにした国際会議がこのところ急増している点が紹介され,「日本は現場や産業界に近いセミナーは盛んだが,学会活動が盛り上がりに欠ける。長い目でみたときに,組み込み分野で競争力を果たして維持・向上させていけるのか」といった指摘がなされた。