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 今から20年近く前,私が初めて経験した「会社」は,とても活気があるところだった。アルバイトとして勤務していた営業所では,社員が朝早くから出社し,現在の顧客や見込み顧客に電話をかけまくっていた。アポイントが取れると,次はプレゼンテーションに向けて深夜まで資料作り。期末ともなると山のように届いた契約書を経理担当者が処理していった。

 営業目標に届けば「本日,目標に到達」と掛け声がかかり,営業成績をグラフ化したパネルには花が飾られた。時には苦情も舞い込んだが,それを上司や同僚に相談しながら解決していった。「これが会社か。早く社会に飛び出したい」と大いに刺激を受けたことを思い出す。

 それから20年,営業部門の職場環境は様子が大きく変わったと聞く。企業によって多少差はあるものの,いずこも格段に静かになったそうだ。これは,決して顧客とのやりとりが少なくなったからではなく,電子メールと携帯電話の普及により,社員と顧客とのやりとりが職場から見えなくなったためだ。

 情報システムを提案する企業に勤める知人によると,一部の企業では「予兆がないまま,大問題が突如噴出してしまうことが多くなった」と不安を募らせているとか。

 以前なら,顧客からの苦情の電話はオフィスにかかってくるから,上司は対応に苦慮する部下の姿を一目瞭然にできた。こうした部下の様子を見た上司は,問題解決に向けてすぐに動き出せた。先手を打つことで,大きな問題になる前にその可能性をつぶせたわけである。顧客とのトラブルではなくても,社員にかかってくる電話あるいは社員がかける電話の数を認識していれば,商機の減少や士気の低下を肌で感じ取れた。

 ところが,電子メールと携帯電話の浸透に伴い,今では苦情が電子メールで寄せられたり,あるいは外出中の営業担当者の携帯電話に直接かかってきたりと,同僚や上司の目に触れにくくなっている。こうしたマイナスの情報のみならず,プラスの情報も隠ぺいされてしまいがちになっている。

 このため,活気や士気といった,数字には表れないあいまいな指標がこれまで以上に捉えにくくなった。ここ数年,トヨタ自動車の生産現場から生まれたとされる「見える化(社内の課題を顕在化させるための活動)」が注目されている理由の一つに,IT化の進展が挙げられよう。

 IT化で見えなくなっているものは,顧客とのやりとりに限らない。例えば,電子メールを偏重するあまり,社内の重要な事項が社員に伝わっていない事象が増えていないだろうか。最近は社内の情報発信としてもブログが流行っているが,トップの強い意思や重大な決定事項が,本当にブログだけで伝わっているのだろうか。

 IT化のメリットが大きいことを否定するつもりはない。ただ,それに伴って失うものがないのかを検証し,もしあるとしたらその改善に向けて対策を練る必要がありそうだ。たとえば,前述した知人の頭の中には「電子メールの本文中から,苦情に関連するキーワードを自動抽出する」といったアイデアがあるという。現場からの抵抗は大きそうだが,全体の傾向を把握するうえでは一定の効果が見込めそうな発想である。残念ながら,携帯電話向けの対策は見つかっていないそうだ。キーワード自動抽出のようなIT活用型に加えて,人のコミュニケーションを重視したIT非活用型の解決方法を組み合わせるというのが,現実的なところだろうか。
 

菊池 隆裕=日経エレクトロニクス