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 自分の主義主張。書籍や音楽のレビュー。仕事上知った危ないネタの暴露。ブログにはさまざまなテキストが繰り広げられている。

 「ブログは人生の記録なんです」。Six Apart社長のミナ・トロット氏は言う。多くの企業やISPで使われている「Movable Type」を夫と共に開発したトロット氏自身もブログのヘビー・ユーザー。ただ本人が言うには,75%は友人や家族に閲覧を限定した記事。誰もが見られるパブリックの記事は残り25%だと説明する(ミナ・トロット氏のインタビュー記事はEnterprise Platformに掲載されています)。

 確かに,ごく“普通”のブログを読むと,ほとんどのエントリーは,他愛もない日常のスケッチだ。「今日はこれを食べた」,「これ面白かった」,「飲み会に行ったら友人が…」といったものばかり。赤の他人にはあまり面白くないものだ。だが,それを書いている本人,そして近しい人にとっては,日常のスケッチも重要なコンテンツだろう。

 1年ほど前のことだが,私の知人が他界した。まだ40歳そこそこだった。大手インテグレータから引き抜かれ,新鋭のソフト会社で中心的な役割を担っていた。無理がたたったのか,突然亡くなった。彼は自社が運営するブログで,仕事のこと,身の回りのことなどを書いていた。それなりの頻度で更新していて,彼の人となりが良く出ている描写はなかなか面白かった。

 面白かった,という過去形で済ますのはもったいない。いまでも面白い。彼のブログはまだ,インターネットの片隅でひっそり公開されている。会社のトップページにはリンクは見当たらないが,URLを知る人間ならいまでもアクセスできる。

 ミナ氏のインタビューを終えてから,そのブログのことを思い出した。なぜ,彼のブログはまだ残っているのだろうか。誰かがそのコンテンツを必要としているのであれば,それはそれでブログのあり方の一つなのかもしれない。彼のブログが残っている理由を調べることにした。

 私はその知人とは,友人と言うまで親しくはなかった。ブログが残っている理由を知りたければ,知り合いをたどって聞いていくのが確実だ。だが私はダメ元で直接その会社に連絡を取り,理由を聞いてみることにした。相手方に事情を説明するのに少し手間取ったが,何とか理解していただけた。

 「社員の意向です」と対応者は言う。「別にいまどき,ハードディスクの容量を圧迫するから消す,なんて必要はないですし,表(会社のトップページ)からリンクを張っているわけでもありませんし。ですからまあ,このままでやってます」。

 何とも言えないすがすがしさのある口調だった。だからといって踏み込んで聞く気にはなれず,これ以上質問するのは止めた。

 私は,これも人生の記録たるブログのあり方だと思った。当然,新しいエントリーはアップされない。けれども,知っている人はアクセスし,彼の在りし日の日常をいつでも読むことができるのだ。