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 「立っているものは親でも使え」ではなく,「立っている無線LAN AP(アクセス・ポイント)は他人のものでも使え」とでも言うべきか……。ポータル・サイト「goo」を運営するNTTレゾナントが7月10日に発表した位置測定サービスの実証実験のニュースを聞いて(関連記事),筆者の頭にはこういう慣用句のもじりが浮かんだ。

 「立っているものは親でも使え」という慣用句が,何かしらの教訓を含んでいるものかどうかは分からないが,少々礼儀に欠けながらも急いでいるときは「親」でも使ってしまえという,かなり合理主義的な発想を表した言葉ではないかと思う。そういう意味では,NTTレゾナントが始めた位置測定サービス実験に使っている「PlaceEngine」という技術も,無断で他人の無線LAN APでも何でも活用してしまおうという点では少々礼儀に欠けるものの,位置を把握するために非常に合理的な手法を用いていると感じさせるものだ。

無線LAN APから発せられるビーコン信号を使う

 PlaceEngineとは,ソニーコンピュータサイエンス研究所が開発し,ソネットエンタテインメントの100%子会社であるクウジットがライセンス提供を行っている位置推定技術である。クウジットは2007年7月3日に設立された会社で,ソニーコンピュータサイエンス研究所でPlaceEngineの研究に携わっていた末吉隆彦氏が代表取締役社長を務めている。

 gooなどの大手ポータル・サイトと協力関係を築いたのは今回が初めてだが,PlaceEngine自体は2006年7月から公開されているという。PlaceEngineの技術を使用した「プレイステーション・ポータブル」(PSP)用のソフトも既にある。2007年4月に発売された「みんなの地図2」だ。8月9日に発売予定のPSP用専用地図ナビゲーション・ソフト「プロアトラス トラベルガイド」も,PlaceEngineを採用している。

 PlaceEngineが位置を測定する際に使うのが,日本全国に散らばっている無数の無線LAN APである。ただ誤解のないように説明しておくが,セキュリティ対策が施されていない他人の無線LAN AP,いわゆる「野良AP」を勝手に使って通信をする,といったたぐいのことではない。PlaceEngineが活用するのは,APが1秒間に10回程度発している無線LANのビーコン信号である。

 ビーコン信号には,無線LAN APのESS-IDやMACアドレス,電界強度などの情報が含まれている。Windows XPの「ワイヤレス ネットワーク接続」で,「利用できるワイヤレス ネットワークの表示」をクリックした際に現れる無線LAN APの一覧表示を見たことがある読者も多いだろう。あの一覧表示は,無線LAN APのビーコン信号から得たESS-IDと電界強度の情報を表示しているものだ。PlaceEngineでは,ビーコン信号中のMACアドレスと電界強度を使って位置を割り出す。ただし,ステルス機能を設定しているAPの場合は位置情報の取得には使えない。ステルス機能とは,ESS-IDの存在を隠すためにビーコン信号の送出を制限するセキュリティ機能のことである。

写真1●PlaceEngineのクライアント・ソフト。「現在地を取得」ボタンを押して 位置を測定する
 ユーザーが,パソコンを使って位置情報を取得する手順は以下のようになる。まず,PlaceEngineのクライアント・ソフト(写真1)をあらかじめインストールしておく。位置情報を取得する際には,クライアント・ソフトを起動し,無線LANの機能をオンにしたうえで「現在地を取得」ボタンをクリックする。これで位置情報が取得できたら,「地図」ボタンを押すことで現在地周辺の地図が表示される。gooの「エリア情報検索実験」サイト上の「現在地を取得」ボタンでも,同様の処理が行える。ただし,無線LAN APを通じてインターネット接続ができない場合は,有線LANや携帯モバイル通信など,インターネットに接続する環境が別途必要だ(図1)。

図1●PlaceEngineの仕組み。無線LAN APのビーコン信号に含まれている情報をPlaceEngineサーバーに送り,位置情報データベースと照合しておおまかな位置を得る

ユーザー参加型の“位置情報2.0”

 無線LAN APのMACアドレスと電界強度を使って端末の位置を把握するには,MACアドレスで判別できる特定の無線LAN APの場所があらかじめ分かっていないといけない。ところが,PlaceEngineが利用するビーコン信号は,他人のAPが送出しているもの。いったいどうやって場所が分かるというのだろうか。

 答えは簡単である。なんのことはない,APの情報をひたすらデータベースに登録していくのだ。クウジットの末吉社長によると,「全国17政令指定都市の繁華街などの登録は完了しており,それらを含めて現在,位置の推定が可能な無線LAN APは全国で50万台に上る」という。とはいえ,ソニーやクウジットの関係者だけで,この位置情報を登録したわけではない。PlaceEngineを使うユーザー自身が位置を登録する場合もあるのだ。それどころか,PlaceEngineの仕組みの本質は,このユーザーによる位置登録である。PlaceEngineとは,ユーザー参加型のコンテンツを集めてサービスなどを提供するWeb2.0の位置情報版,いわば“位置情報2.0”なのである。

 ユーザー参加型のコンテンツの場合,問題となるのが信頼性である。PlaceEngineも,誤操作などによる誤った位置登録や,悪意を持ったユーザーによるニセの位置情報が登録される危険がある。また,無線LAN AP自体が移動する可能性もある。実際,2007年初頭にソニーの本社が御殿山(品川区北品川)から現在の「ソニーシティ」(港区港南)に移転した後しばらくは,ソニーシティ周辺で検索すると御殿山と表示されたという。しかし末吉社長は,「登録件数が増えれば増えるほど,そうした誤った情報は排除されていく」と語る。ソニー本社の“誤登録”も,しばらくたつと解消されたという。

 また位置情報は,ユーザーによる「登録」だけではなく「検索」でも更新されていく。例えば,A,B,CというAPが新宿にあり,これら3つのAP情報で検索をかけると「新宿」の位置情報をPlaceEngineサーバーが返していたとする。ところが,CのAPを持つ会社が渋谷に移転してX,Y,ZのAPの近くになると,今度は渋谷からX,Y,Z,Cの4つのAPで位置検索がかかるようになる。Cが混ざってはいても,X,Y,Zがある限りは確率的に渋谷の可能性が高いため,位置情報としては「渋谷」を返す。それと同時に,Cの位置が渋谷に移った可能性が高いことをPlaceEngineサーバーが把握するというわけだ。

 このように,PlaceEngineサーバーは検索時の情報も蓄積しているため,検索すればするほど位置情報の精度が上がっていくという仕組みになっている。

「PlaceEngineとGPSは補完関係にある」

 技術的にはなかなか興味深いPlaceEngineだが,そもそも位置を特定するシステムとしてはGPS(全地球測位システム)があり,GPSの方が普及が進んでいる。今さらPlaceEngineの出る幕はあるのだろうか。

 こうした疑問に対し,クウジットの末吉社長は「PlaceEngineとGPSは補完関係にある」と言う。というのもGPSは,ビルが乱立している場所の周辺や屋内では測定誤差が大きくなるからである。例えば,五反田駅周辺地域の1km程度をPlaceEngineとGPSで測位しながら屋内も含めて歩くという実験を実施したところ,測定誤差はGPSの方が大きくなりがちだったという。一方,郊外や山間部など無線LAN APがほとんどない地域は,どう考えてもPlaceEngineはGPSにかなわない。二つのシステムの長所を組み合わせることで,精度の高い測位が可能になるというのだ。

 今回,PlaceEngineを使った実験を実施することを決めたNTTレゾナントのポータル事業本部メディア事業部 検索/システム部門の川淵聡・主査は,「将来的には,多くの携帯電話機に無線LAN機能が搭載されていくだろう。それを見越して無線LANを使うPlaceEngineには注目している」と語る。携帯電話による位置情報取得は,今のところGPSを使ったものが主流。それに無線LANを使ったPlaceEngineが加わることで,位置取得の精度が上がることが考えられるという。ただしNTTドコモなどの携帯電話事業者とは,特に交渉や話し合いなどはしていないという。

 またNTTレゾナントは,ノートPCやPDA(携帯情報端末),スマートフォンなどでも手軽に位置情報取得が可能になる点にもメリットがあるとしている。特にノートPCは,最新機種を中心に無線LAN機能を標準搭載するものが多くなっている。外付けのGPS受信機を購入することなく,位置を検索できる。さらに,無線LAN機能を搭載するウィルコムのスマートフォン「Advanced/W-ZERO3[es]」でも位置検索が可能。PlaceEngineクライアントは,Windows Mobile版も用意されているからだ。

 NTTレゾナントが実証実験で行おうとしているのは,無線LAN APの電波を使って取得する位置情報と地図の連携サービスだ。PlaceEngineを使えば,goo上で提供している「自動車ナビ」や「歩行者ナビ」の出発地入力が大幅に楽になる。さらに同社は,出発地/到着地の最寄駅を検索して鉄道路線を含めてエンド・ツー・エンドの経路を表示する「どこでもルートナビ」も,PlaceEngineと連携できるようにしていきたいとしている。

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 無線LAN APの出すビーコン信号は,そもそも,その無線LAN APに接続しようとするユーザーがESS-IDなどを把握するために出している信号である。接続するつもりがないAPが発するビーコン信号など,本来は“ノイズ”でしかない。ところがPlaceEngineは,これを逆手に取る。“ノイズ”が多ければ多いほど,正確な位置が割り出せるのだ。この発想の転換は非常におもしろい。

 ただし,PlaceEngineによる位置測定をできるだけ正確なものにするには,ユーザーによる数多くの位置情報登録が欠かせない。しかし現在位置を登録するには,位置情報の取得に失敗した後に,あらためて地図をスクロールするなどして正確な位置を自ら探しだし,「位置を教える」ボタンを押さなくてはならない。手軽に位置情報を登録できる環境とは言い難い。このあたりをどのように改善して,いかに多くの位置登録を得られるのかが,PlaceEngineの精度を左右しそうだ。