PR

自分の幸せを貪欲に追求できるか

 ところが情けないことに対談当日,筆者は大遅刻してしまい,対談そのものはほとんど聞けなかった。大遅刻をする人間は「信頼できる」とは到底言えない。ただ,終わりのやり取りを聞いていて,先の対談で得たお二人に対する印象は間違っていないと思った。対談の締めくくりに,まつもと氏がぽつんと「僕は自分の幸せを追求することには結構貪欲なんです」と言い,梅田氏は一瞬間を置いてから「それって深い言葉だねえ」と高橋信頼に話しかけた。

 楽しい仕事をするという自分の幸せを貪欲に追求する,つまりわがままを押し通すには,精神的自立と自助の精神が不可欠で,ところがそれを徹底していくとパブリックな活動につながり,全世界のRubyファンから「信頼できる」リーダーと認知される。こうした流れは,オープンソースやインターネットの世界に限ったことではない。信頼できるリーダーは皆,ある意味でわがままであり,しかもそれが人を引き付ける。聞こえが悪ければ,わがままを真摯あるいは一徹と言い換えてもよい。

 真摯や一徹は目指すべき姿勢だが,それが独りよがりになり,誰も共感しないようでは,困り者である。「周りの人に迷惑をかけてはいけません」という教えは好意的にとれば,駄目なわがままにならないための注意である。これが人に迷惑をかけない「だけ」に堕してしまいがちなところに日本の問題がある。

 猛烈に仕事をして成果を上げつつ,しかもパブリックのことを忘れない,「信頼できる」人になるためには,梅田氏が書いている通り,精神的自立と自助の精神が欠かせないが,そうした自分を一人で確立することは不可能である。自分はしっかりしている,一人でやっていけると思い込んだ人こそ,困ったわがままであろう。

 まつもと氏が自然体でありながら,その難事をやってのけているカギは,おそらく彼の信仰にある。梅田氏は1回目の対談で遠慮しつつ,その点を質問していた。自分が永遠に到達できない圧倒的な存在を信じればこそ,自立と自助が可能になる。梅田氏が信仰をお持ちかどうかは知らない。ただ,『ウェブ時代をゆく』で一章を費やして説明されている「ロールモデル思考法」は宗教ではないものの,高みにいる人を目標にすることで,自立と自助とパブリック志向を可能にする一つの方法だと思う。

 ITproサイトに宗教のことまで書いてしまったが,不思議ではない。ITproは本来,ITのprofessionalを指す。プロフェッショナルの語源は,profession,すなわち信仰の宣言である。つまり,自分を超える価値を心から信じることで自分を律し,しかも他人に価値を提供できる人がプロフェッショナルである。書きながら自分を省みて,再び憂鬱になってきたので,次の段落で終わりにする。

 対談には加われなかったが,両氏の帰り際,エレベーターホールで梅田氏とちょっと話ができた。「個としての精神的自立,自助の精神,パブリックな意識,そんな人って,日本にいるのですか」と,初対面にも関わらず相当ぶしつけな問いをぶつけてしまった。梅田氏は「いますよ,それは」と答え,「だって僕の本を読んでくれる人はあんなにおられるのだから」と笑った。冗談も入っていたが本音であろう。なにしろ,インターネット上の空間に読者が公開した2万件を超える書評やコメントを逐一読んだ上での発言であり,「信頼できる」。よし,今年はもっともっとオプティミスティックな原稿を書こう,昨年までに約束して不履行になっている案件をなんとかこなし,信頼できる記者を目指そう,と思いつつ,梅田氏とまつもと氏をお見送りした。