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 「お客様の声にきちんと耳を傾けよう」――。今やあらゆる企業の様々な部署で当たり前のように使われるセリフだ。IT(情報技術)化が進んだ今の時代,その気になれば短期間で大量のVOC(ボイス・オブ・カスタマ=顧客の声)情報を比較的簡単に集めることはできる。だが,ビジネスの目的に合致した形で,VOCを経営にきちんと取り入れている企業がどれだけあるだろうか。

 消費者のほうから見れば,「その程度の商品やサービス,接客で本当に顧客の声を聞いているの?」と,そう思われてしまう企業が少なくない。もちろん,顧客の要望すべてをそのまま商品やサービス,接客などに反映すればいいわけではない。どんな顧客層のVOC情報をどう集めることがビジネスの目的に適しているかの判断や,集めたVOC情報の中からどれを生かしどれを捨てるかの判断を,しっかりと実践することが重要なのである。

 では,そうしたVOC情報に関する重要な判断を誰が下せばいいのか。日産自動車が1つの先進的な取り組みをしている。

製薬会社のMRならぬ“CR”組織を設置

 「かつての当社は,デザイン,マーケティング,研究開発など部門ごとに顧客調査を担当するチームを持っていました。でも調査とは,『こういう結果にしてほしい』と言われればそうできてしまうもの。だから,特定部門に所属するチームが調査すると,その部門に都合のいい結果になりがちです」

 歯切れ良くこう語るのは,日産自動車で市場情報室の室長を務める星野朝子執行役員である。この市場情報室という部署は,カルロス・ゴーン社長兼CEO(最高経営責任者)の強い要望によって,2002年4月に新設された。星野執行役員は,この新組織のトップとしてヘッドハントされた,マーケティング調査のプロだ。日産をV字回復させたゴーン社長は当時,顧客志向の発想が十分に社内に浸透していないと感じていたうえ,部門ごとの調査報告内容の客観性に懸念を抱いていた。

 星野執行役員は,日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)を経て,米ノースウェスタン大学に留学,「マーケティングの神様」と呼ばれるフィリップ・コトラー教授が教べんを執る同大学でMBA(経営学修士)を取得した経歴を持つ。帰国後は,社会調査研究所(現・インテージ)で優秀なリサーチャーとして名をはせ,日産に転職する前は役員理事となっていた。市場調査はもちろん,心理学や統計学など様々な手法を駆使して調査結果を分析し,マーケティング戦略を立案するノウハウに長けている。

 そんな星野執行役員が率いる市場情報室は,製薬会社のMR(医薬情報担当者)に倣えば,“CR(カスタマー・リプレゼンタティブ=顧客情報担当者)”とでも言うべき集団である。客観的で価値の高いVOCを収集し,その分析結果をリクエストに応じて経営陣や社内の各部署に提供する。日産では現在,既存顧客や潜在顧客に関する市場調査を必要とする時は,どの部署も原則として市場情報室に依頼しなければならない。

 依頼を受けた市場情報室は,自ら調査に乗り出したり,調査方法を詳細に設計したうえで,調査作業を外部に委託したりする。国内の市場情報室のスタッフは50人強だが,定性データの取得作業にできるだけ時間を割くようにしている。「新車の開発は創造的な仕事だから,デザインやマーケティングなど各部署の人をどんどん刺激すべき。そのためには様々な定性データが必要なのです」と星野執行役員は説明する。

 例えば,新型ミニバンを開発する際,モニターとなる家族に観光地までドライブしてもらったことがある。旅館に到着したら車内にセットしてあったビデオカメラの映像を再生し,市場情報室のスタッフがミニバンの使い勝手を次々と質問していった。「お子さんが後部座席からお母さんに何度も話しかけていますが,子供が声を大きくするまで気づかなかったのはなぜですか。お母さんがびっくりして大きな声を出してしまわなければ,みんなはどんな気持ちでいられたと思いますか」などと言った具合である。若者をメインターゲットとした車種の宣伝の前準備として,若者にとっての「癒し」をキーワードとしたデートスポット巡りをしたこともある。

 星野執行役員はさらに,「市場情報室は調査結果に必ず付加価値をつけて,依頼主となる部署に報告する」と強調する。ここで言う付加価値とは,統計学や心理学,マーケティング理論などを駆使して提示する,調査結果の解釈の仕方である。「この顧客層がこういう回答をするのは,こんな心理が背景にあるから。そんな顧客層を買う気にさせるトリガーは,これとかこれ」といった解釈を提示するのだ。

 ビジネスの世界では100%正しい答えが存在しない場面が多々ある。だからこそ,顧客の声に真摯に耳を傾けて,それを様々な経営判断の羅針盤とすることが重要である。社内で利用するVOC情報を一元化し,その精度も高める。そんな役割を担う部署を設けたことによって,ゴーンCEOは部署都合ではない真の顧客志向を徹底しようとしているのである。

 日経情報ストラテジー2008年4月号では,日産自動車の市場情報室の活躍ぶりをはじめ,「これぞ,究極の顧客志向だ」と思わずひざを打ちたくなるような事例を厳選した特集記事「究極のVOC経営」を掲載している。例えば,積水化学工業ハウジングカンパニーではもう2年以上,幹部50人が手分けして毎週,多数の既存顧客の家を訪問している。顧客の住宅に関する要望や不満を聞き出し,素早く経営に反映させ続けるためだ。日産や積水化学などの,こうした事例にすべて共通して言えることは,「顧客の声に真摯に耳を傾けるのは経営者の仕事だ」と経営者自身が熱い思いを持っていること。その先には,生涯顧客の獲得という狙いがある。