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 そして3つ目が,「なりすまし」の規制がないことである。行き過ぎた匿名性の許容は,個人の無責任な言動を増殖させる温床になりうる。無責任な言動の集合体は,ちょうどリアルの世界での集団いじめのように,その責任を問われるべき行動主体者が不明確になることでの「罪の意識の希薄化」が生じる。

 こうした現象について,心理学者のM・スコット・ペック氏は自著「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」の中で「大半の人たちは、リーダーとなるよりはむしろ追随者となることを好む(中略)子どもが親を頼りにするようにリーダーに対する心理的依存が生じる。こうして普通の人はいったん集団の一員となるや,たちまちにして情動的退行を引き起こす」と指摘する。このような情動的退行が,ネット上の無責任な言動においても存在しているのではないか。

 確かに,内部告発のように匿名制だからこそ語れる内容の事実もある。これはネットの特性を生かした言論の自由の行使であり,これを完全否定するものではない。しかし,行き過ぎるとなりすましへの悪用やネット上での集団いじめにつながり,情動的退行を引き起こす恐れもある。「公の場で特定人物を誹謗中傷することは,国民が持つ言論の自由の本来の意味のはき違えである」(加納氏)。

人の問題に起因する

 当然,ここで紹介した要因分析がマイヤーの事件の真相を語るすべてではない。マイヤーが当時,いじめとは関係なく情緒不安定な精神状態にあったという報道もある。いじめを続けた大人が極端にモラルが崩壊した人物であったという見方もできる。

 しかし,こうした特殊要因を省いて見えてくる3つの要因は,リアルでも起きている通常のいじめ問題の要因と大差がない。(1)社会生活を営む人としてのモラルに欠けた人が,(2)監視の行き届かない閉鎖空間の中で,(3)罪の意識が希薄化する状態で無責任な言動をし続ける---。つまりは,事件の舞台となったのはネットだが,結局はいじめ問題の根にある構図そのものということだ。

 確かに,ネットは情報伝達の速度が速いなどの特性もある。こうしたネットの特性を考慮した問題点に着目し,あらゆる対策を講じていく必要はあるだろう。しかし,人と人のコミュニケーションにおけるトラブルは,リアルでもバーチャルでも同じように起きている。いじめ問題にせよ,犯罪予告の問題にせよ,これらをバーチャル特有の問題として捉えるのには無理がある。こうした人と人のコミュニケーションにおけるトラブルは,ネット特有の問題としてばかり捉えるのではなく,いじめならいじめ問題の中核にメスを入れるべきだ。

 その一方で,「ネットだから」と無自覚で思慮に欠ける発言をし続ける一部の人たちのように,ネットをリアルとは異なるバーチャル空間の話として,特別視している向きがあるのではないか。それは「Web 2.0」などの標語でネットの特性に過剰な期待を抱き,極端な性善説と技術至上主義を展開する人たちもそうだし,あるいは「自分には分からない世界のこと」とその有用性に真剣に向き合おうとしない人たちもそうだ。

 リアルであれバーチャルであれ,コミュニケーションを行う主体は人間。時間や場所の制限なくコミュニケーションができるというバーチャルは本来,リアルの延長線上にある問題で,リアルを補完する存在であるべきだ。しかし,さまざまな立場の人たちがさまざまな理由から思考停止状態に陥り,無意識に,心の底ではネットというバーチャルの事象を,リアルと切り離して考えているように思えてならない。

 バーチャル空間におけるさまざまな危険性は,実のところ,リアルとバーチャルを自分たちの都合によって区別して考えてしまう,人の問題に起因しているのではないだろうか。法整備や技術的な対策にばかり目を向けるのではなく,バーチャルはリアルの延長線上にある存在であり,この危険性を十二分に意識しつつこれを活用するには,そのための人の成長や意識改革が必要であるという視点も加えて,人を生かす有益なバーチャル空間のあり方というものを考えていきたい。

■変更履歴
改正迷惑メール法と青少年ネット規制法の記述にそれぞれ正式名称を加えました。本文は修正済みです。 [2008/08/06 15:00]