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 「IT(情報技術)部門の人はね、ちょっと元気がないんですね。朝のあいさつもなくて皆すーっと席について端末に向かってしまって。だから職場がしーんとしてて活気が感じられない」。以前ある大手企業のCIO(最高情報責任者)にインタビューした際に、こんな話を聞いた。営業部から転じてシステム部門を統括する立場になったそのCIOは、着任早々、部下たちの覇気のなさにショックを受けたが、その象徴として語られたのが「あいさつレス症候群」だったわけだ。

 このCIOの場合、営業時代の職場では朝のあいさつが徹底されていたということだったが、実際のところ「あいさつレス」は様々な業種、職種に広がっているように感じる。営業部門では「朝から立ち寄りが多く、出社時間がばらばらなので」という理由で、研究部門では「理系で内向的な人が多いので」という理由でやはりあいさつが少ないと聞いた。若手が多い職場では「最近の若い人はそもそもあいさつの習慣が身に付いていない」、逆にベテランばかりの職場では「若い人が少ないせいか活気がなくて、口を開くのも面倒」。ありとあらゆる職場が、いろんな理由であいさつレスになっている。2008年のベストセラー『不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか』(講談社現代新書)でも「ギスギス職場」の兆候の1つとして、「『おはよう』等のあいさつがなく、皆淡々と仕事を始める」ことが挙げられている。

 そうはいうものの、積極的にあいさつレスを解消している組織は多くないようだ。しないよりするに越したことはないが、あいさつが励行されたからといって、売り上げや利益に直結するわけではない。「雰囲気がぴりっとしない」とか「活気がない」ことに漠然とした不満を抱く部門長が、「あいさつしよう」と呼びかけて個人の意識付けを促すくらいしか方策がないというのが実態だろう。小学校の先生ではあるまいし、毎日そんなことを呼びかけてはいられない。

「あいさつポジション」に足型シール

 そんなことを考えていたある日、コーチ・エィ(東京・千代田)の中島克也常務から「あいさつ促進に『真剣に』取り組んでいる組織がある」と紹介された。東京海上日動火災保険の埼玉自動車営業第二部だという。「あの東京海上日動が、ですか?」と思わず聞き直した。損保業界のガリバーで、学生の就職人気ランキングでは常に上位を占める。最近こそ保険料の不払いや未払いなどが社会問題になったものの、金融業界の最高峰というブランドイメージは強い。そんなエリート集団で、小学校のようにあいさつの唱和が行われているというのだろうか。

 半信半疑で大宮駅に程近い埼玉自動車営業第二部(自営二部)のオフィスを訪れた。若い男性社員が外出時にドアの前でくるっと振り向き、「行ってきます」と頭を下げる。するとオフィス内の部員から一斉に「行ってらっしゃい」と声がかかる。かなりすがすがしい光景だ。

 シカケは足元にあった。3課に分かれた机の島とドアの間のフロアカーペットに、足型のシールが張られている。そこが「あいさつポジション」だ。あいさつするポジションが決まっていれば、どのタイミングであいさつすればいいか迷わなくてもいい。約50人の部員は、出入りの際にごく自然にそこで立ち止まり、あいさつすることが習慣となっている。

 このあいさつポジションは、同部が取り組んでいる「イキワク(イキイキワクワク)活動」の一環だという。2007年秋から取り組み始めたこの活動では、部員全員が複数のチームを作って、それぞれ「自分の考えを自然に言い合える組織を作る」「メンバー全員の日々の成長に気づき、認め合える職場にする」といった目標を掲げ、その実現に向けて様々なシカケを工夫している。いわば組織活性化のための小集団活動だ。あいさつポジションに加え、ほかの社員への感謝のメッセージを張り出した掲示板や、「私の今週のコミュニケーション度」を相互に評価し合うミーティングなどが考案され、部内に浸透している。こうしたシカケを通じて、社員同士のコミュニケーションを増やし、イキイキワクワクした職場にするのが活動の目的なのだという。

 イキワク活動の仕掛け人は渡辺善雄部長だが、部門の長が号令をかければコミュニケーションの活性化が促進されるというような簡単なものではない。そこで渡辺部長はコーチ・エィの中島氏らを講師に招いたコミュニケーション研修を開催し、部内の社員全員に受講させた。研修では例えば、2人1組になって、1人が話す間、相手がそっぽを向いていたり、何も言わずにただ黙って聞いていたりするときと、積極的にあいづちを打って、話を引き出そうとするときの「話しやすさ」の違いを体感するといったアクティビティーを行う。当たり前のようだが、実際の仕事では、相手が話しかけているのにパソコンの画面を見つめたまま応対したりすることもある。ちょっとした振る舞いや態度が意思の疎通に影響を与え、ひいては仕事の進行を促進したり阻害したりする。これを体感することで、社員一人ひとりがコミュニケーションの重要性を改めて認識し、自発的なイキワク運動への取り組みにつながっていった。

職場で感動を味わおう

 渡辺部長はイキワク活動を始めた理由を「活力に満ちた社員を育てたかったから」と話す。全国でもトップクラスの営業成績を誇る埼玉自営二部は、十分活力ある職場のようにも見える。しかし「業績が良い部署では仕事ができても、そうでない部署では意気消沈してしまって、力が出ないという例は少なくない」と渡辺部長。営業所のなかには、強力な代理店を他社に奪われ、構造的に業績が低迷してしまう職場もある。そうした職場でも、自らを、そして周囲を動機付けて、前向きに仕事に取り組む社員を育てたい。そうした思いがイキワク活動のきっかけになった。

 深読みすれば、それは同社のみならず、損保業界が置かれた近年の苦境とも関連している。2005年から社会的に大きな問題となった保険金の不払いなどの問題は、業界全体に深い痛手を与えた。高待遇で周囲の羨望(せんぼう)を浴びてきた社員が味わった挫折感は、相当なものだっただろう。しかもそれは、一人ひとりの力ですぐにはね返せるものではない。そうした徒労感に屈服せず、活力を維持してつらい時期を乗り切るためには何か「燃えるもの」が必要だった。静まり返っていたオフィスに闊達(かったつ)なあいさつが飛び交う。仕事上のちょっとした貢献を、誰かが認め、感謝のメッセージを書いてくれる。そんなことで感じるちょっとした感動が、日々のモチベーションを喚起し、「明日も仕事を頑張ろう」という気持ちにさせてくれるかもしれない。

 埼玉自営二部のイキワク活動は、ほかの部門にも徐々に広がり始めている。別の部の社員が感謝メッセージの掲示板に立ち寄って、「俺も褒められたいなあ」とつぶやくこともある。そうした体験が、自営二部の社員たちに達成感と感動を与えてくれる。

 日経情報ストラテジー12月号の「総力特集 『感動職場』の作り方」では、東京海上日動をはじめ、様々な感動が日々生まれる職場の事例に密着取材した。未曾有の経済危機にさらされる今日こそ、一人ひとりの社員に日々の仕事での達成感を生み出し、前向きな意欲を生み出すことが必要だと信じている。