2004年1月中旬、日経システム構築の取材で、7年ぶりに扇子さんにお会いする機会を得た。扇子さんは、私を大歓迎してくれ、六本木ヒルズにある事務所に招いてくれた。窓の外に広がる素晴らしい景色を見ながら、すがすがしい気分で取材をさせていただいた(以下敬称略)。
矢沢:扇子さんは、SFAソフトの営業セミナーで、受講者たちに「営業なくして顧客なし、顧客なくして企業なし」という言葉を熱く語ってくださいましたが、これは、どういう意味でしょう。IT業界では、とかく営業マンが軽視されがちだが、実は、企業を支えているのは営業マンである。営業マンは、もっと自信を持て、という意味ですか?
扇子:企業に元気がなくなってしまった今こそ、あらためて企業の原点を見直そうという意味です。もちろん、営業マンへのエールでもあります。
矢沢:できる営業マンとは、どんな人でしょう?
扇子:目的に関して、効率的かつ効果的に仕事をしている人です。効率的(Efficient)と効果的(Effective)の頭文字を取って、これを「E&E」と呼んでいます。逆にダメな営業マンとは、仕事の意義や是非などに理屈をこねてばかりいて、実行が伴わない人です。
矢沢:なるほど。扇子さんは、SFAソフトのセミナーで「営業マンの良し悪しは、簡単に判断できる。客先の滞留時間が長い人が良い営業マンだ」ということも教えてくれました。事務的な業務を効率的にこなして、顧客に触れる時間を多く取ることが効果的というわけですね。
矢沢:扇子さんのような営業マンになるには、どうしたらよいですか?
扇子:その質問は、ナンセンスです。いいですか(と言って、ホワイトボードに山の絵を描く)。山の頂上まで到達した人に、「あなたはどの道を通って来ましたか」と聞いたとしましょう。それを知っても、まったく同じ道を通って、自分も頂上にたどり着けるとは限りません。人には、それぞれ個性があるのです。自分に合った道を、自分で見つけなければなりません。たとえば、技術だったら、WindowsでもLinuxでも、登り口は何でも構わない。自分の道を登って行けばいいのです。自分で考えろ! 何でも勉強! 一生勉強! です。
矢沢:まったくその通りです。質問した自分が、ちょっと恥ずかしくなりました。でも、取材の仕事なので、扇子さんの考えをできるだけ多く聞き出さなければなりません。質問を続けさせていただきます。山の頂上に立っているのは、どんな人なのでしょう?
扇子:(ホワイトボートに「知識→教養→知性→人格」と右上がりに書いて)知識から始まって、それが教養となり、知性となり、最後に人格まで高まった人です。そういう人どうしが道ですれちがうと「おぬし、できるな!」とお互いに感じ合えます。雑誌で、スポーツ選手と芸術家のように、まったく畑違いの人が対談することがあるでしょう。共通の話題がないようでいて、スムーズに対談が成り立つのは、お互いに「おぬし、できるな!」のレベルになっているからです。
矢沢:なるほど、わかりやすいです。それでは、できるリーダーとは、どんな人でしょう?
扇子:人の教育とは、「あれをヤレ! これをヤレ! あれはダメ! これもダメ!」と指示するのではなく、判断基準を与えるだけでよいのです。「黙ってオレに付いて来い」的なリーダーはダメです。新幹線の車両のように、皆が自分のエンジンを持っています。だから、新幹線は速く走れるのです。皆が判断基準を知れば、それぞれの個性を活かして目的をいち早く達成してくれるはずです。たとえば、カルロス・ゴーン社長の最大の功績は、日産に来て「わが社はどうあるべきか」を示したことでしょう。
何でもズバッと即答できるところが、扇子さんのスゴイところだ。さて、取材記事というものは、「この人はスゴイ」と言っているだけでは、読者の賛同を得られない。ズッコケたところを引き出した方が、読者に受けがいいのだ。そこで、扇子さんの失敗談を聞いてみることにした。
矢沢:扇子さんにも、きっと失敗の経験があると思います。教えていただけますか?
扇子:私には、失敗談はありません。なぜなら、失敗したと認めたら本当に失敗であり、あきらめたら終わりだと考えているからです。ビジネスも人生も、勝ち負けのあるゲームではありません。ころんでも何かをつかんで立ち上がれば、決して失敗ではありません。
矢沢:それでは、扇子さんは神様にすがるときはありますか。扇子さんは、初詣で神様に手を合わせるとき、何をお願いしますか?
扇子:初詣には行きますが、手を合わせても、何もお願いしません。無我の境地になります。私は、「こだわらない、とらわれない、とどまらない」ということを肝に銘じております。
うわ~、何ともパワフルな人だ。扇子さんからは、失敗談もズッコケ話も引き出せなかったが、大事なことがわかった。「おぬし、できるな!」という人を支えているのは「こだわらない、とらわれない、とどまらない」という切り換えの発想なんだ。これを「扇子さんの三無い運動」と呼ばせていただこう。真似して言ってみると、それだけで元気が出てくる。