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押見正雄さん(右)と筆者(左)
押見正雄さん(右)と筆者(左)
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 今でこそ、プログラミングに関する書籍や雑誌記事を書いたり、企業研修や大学で講師を務めている私だが、はじめはコンピュータが嫌いだった。コンピュータとの初対面が、よろしくなかったからだ。それは、高校時代に物理の授業で実験を行ったときのこと。名前と実験結果を入力すると、合格かどうかをコンピュータが判定してくれるようになっていた。こんなことは、10行ぐらいの簡単なプログラムで実現できるわけだが、それを作った先生は「おれはプログラミングができるんだ。スゴイだろう」と言わんばかりに自身満々だった。この先生が、私をコンピュータ嫌いにしたのだ。

 実験結果が得られた私は、はじめて触れるキーボードで必死に「ヤザワ」の3文字を探した。「ヤ」があった。ところが「ザ」がない。仕方がないので、濁点なしで「ヤサワ」と入力した。すると先生は「ほ~お、君の名前はヤサワというのか。ずいぶん変わった名前だねぇ」と言った。だって「ザ」のキーがありませんよと言い返すと、「あのねぇ、濁点は1つのキーになっているんだよ。そんなことも知らないの」と人を見下げるような態度だ(当時は日本語を入力するのに半角カタカナしかなかった)。なんだって! 濁点を独立した1文字とするなんて、そっちの方がナンセンスじゃないか。そんなのコンピュータの都合だ。こんな変ちくりんな機械など、二度と使うもんか。というわけで、コンピュータが嫌いになった。

 しかし、コンピュータへの憧れはあったのだろう。その後、すでに就職していた兄からパソコン(NECのPC-6601)を譲り受け、添付されていたBASICの解説書を見ながらサンプルプログラムを作って遊ぶようになった。自分一人でやるのだから、誰からもバカにされることはない。ループ命令で掛け算の九九表を表示する程度のシンプルなプログラムであっても、その実行結果を見て大いに感動した。自分の考えをプログラムにすれば、それを機械であるコンピュータが解釈して実行してくれる。まるで、人間の意志がコンピュータに通じたみたいだ。実に面白い! しかし、まだまだ生涯の趣味や仕事にするほどコンピュータを好きにはなれなかった。

 そんな私がコンピュータの世界に引きずり込まれたきっかけは、大学時代に押見正雄君(同級生なので「君」で呼ばせていただく)と出会ったことだ。卒業研究のわずか1年間だったが、彼と過ごしたことで、コンピュータに対する興味が256倍ぐらいに増幅された(100倍でなく256倍という言葉を使うオタクになったわけだ)。研究室の環境もよかった。工作機械の自動プログラミングシステム(図面から加工用のNCプログラムを自動生成するもの)を作るチームに所属したのだ。毎日毎日ひたすらプログラムを作り続ける人たちの中で過ごした。押見君は、その中でも特に優秀だった。何しろ、中学生の頃からマイコン(NECのTK-80という実験用マイコン)で、アセンブラを使ってプログラミングして遊んでいたというのだから。

 どんなに優秀でも、押見君は、決して相手をバカにしたような態度を取らない。プログラミングに関する質問をすると、まず一般的な回答をしてくれる。それを理解できないなら、もう一歩レベルを落とした説明をしてくれる。それでもわからないから、さらにレベルを下げてくれる。どうしてもわからないと「後でわかるから今は気にしなくていい」と言ってくれる。とっても優しい人だ。せっかくだから、押見君にどんどん教わろう。

 そこで、私は、当時プログラマなら必ず読むべき名著と呼ばれていた「はじめて読むマシン語(村瀬康治著、アスキー出版局刊)」の内容を、隅から隅まで一言ももらさず理解しようと決めた。その学習目標は、押見君に質問しながら3回繰り返して読むことで達成できた。マシン語(実際にはアセンブリ言語)をマスターしたことで、私の頭の中でハードウエアとソフトウエア(プログラム)の知識がつながった。コンピュータの正体が見えたと感じ、プログラミング能力が一気に向上した。今の自分があるのは、押見君お陰なのだ。

 現在、押見君は、株式会社CRIミドルウェアで取締役CTOをしている。卒業してから約20年間、ずっとプログラムを作り続けているのだ。現在は、どんな考えでプログラミングしているのだろう。プログラミングの神様みたいになっているかもしれない。友達にインタビューするのは、ちょっと照れくさいが、押見君の職場を訪ねてみよう(次回に続く)。