USENがライブドアを支援、というニュースで思い出に耽る。
あれは昭和62年。僕はUSENの前身である「大阪有線放送社」の担当営業だった。
新人の僕はNECのディーラーに、いた。
ACOSからTC経由でつなぐN5200を何台か増設する商談だったのだが端末につなぐケーブルが高価であると、情報システム部の人に注文をつけられた。
「なんでこんなもんがメーター1万円するんじゃ?」
「それが定価ですので・・・」
「うちは『有線』やで。ケーブル張るのが仕事やから電線なら裏にリール(でっかい木の糸巻きみたいなやつ)であるわい。ケーブルはこっちで調達するからな。注文しないぞ。そのぶん値引しとけ」
「そ、そんな無茶な。そしたらプラグはどうしますか?」
「・・・・うん。それは必要やな。それは買うわ」
「プラグとケーブルが別々だと・・・」
「・・・キミがハンダ付けするんや!」
「え?」
というわけで自社の工事担当が縦線配管終了後あちこちの壁からペロンとでたケーブルを僕が引っ張りだしてハンダ付けして回った。「なんでこんなことせなアカンのやろなあ」
確か、リクエスト室のある4階の廊下で
しゃがんでハンダ付けしてたら22歳の僕の肩をぽんぽんと叩く人が。
振り返ると小柄なおじさんが。
「キミ、ここでなにしてるんや?」
「ハンダ付けです」
「うちの人か?」
「いえ、NECです」
「そうか、ご苦労さんやな」
そういってジーンズ姿のテレサ・テンと歩いていったのが宇野康秀さんのお父様、大阪有線放送社を一代で立ち上げた、あの宇野元忠さんだった。
テレサ・テンと宇野元忠さん、お二人とも今はいない。
仕入れに厳しく、それでいて業者に優しい。
担当していた2年間は辛かったけど楽しかった。
若造だった僕にいろんなことを教えてくれた会社だ。
いまでも感謝しています。
頑張ってください。