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 林@アイ・ティ・イノベーション代表です,こんにちは。

 私はこれまで,自分の考え方に大きな影響を与えたさまざまな「異文化体験」をしてきました。特にインパクトの大きかった体験の一つが,1985年の英国出張でした。今回から2回にわたって,英国出張の体験談を皆さんにご紹介します。20年も前のことですが,これから海外に打って出ようとするエンジニアの方にも参考になる部分が多いと思います。

 1985年当時,私はある企業に勤めていました。ライン部門でシステムエンジニアの実務経験を積んだのち,企画部門に異動し,新規事業を模索していました。

 上司が英国に出張した際に,開発方法論が書かれた一冊の本を持ち返ってきました。上司は「この本を基に何かできないか」と言ったので,まずは読んでみますと私は答えました。

 読んでみますと答えてみたものの,それは難解そうな本でした。安請け合いしてしまった,と少し後悔しつつ読み始めましたが,数多くの発見がある非常によい本だということがすぐに分かりました。

 この本に書かれている方法論は,2000年代の現在でも,日本における標準的な開発方法論として採用されているものです(次回,詳しく説明します)。私はこの本に書かれているフォーマルな方法論の理解が進むたびに,「この手法をもっと勉強し,日本で普及させたい」という気持ちが高まってきました。

 私はこの本を読んで,「日本におけるシステム開発のアプローチは不適切である」ということを発見し,愕然としました。今でこそ多少は改善されてきましたが,当時の日本における一般的なシステム開発の方法は,言ってみれば根性で開発を進めるものでした。しかも開発の方法を体系的に学ぶ仕組みはなく,先輩が実施していることを見よう見まねで学んでいました。

 開発する対象物が単純で,開発者の体力に任せるのであれば,そのようなやり方でもある程度までは通用するのも事実です。しかし,仮にシステム開発に成功したとしても,そういった仕組みの上で得られた成功は一過性のものに過ぎません。たいがい,保守段階で困ったことになります。

 当時私はシステムエンジニアとしての仕事を一通り経験して,多少自信が持てるようになった頃でした。上司から借りた本を読み終えて,自分はそれほど高いレベルには至っていないということが分かりました。それと同時に,どうにもならない憤りを感じました。そして,「何かしなくては」という焦りと情けなさが同時に襲ってきました。

 私はすぐさま上司に「英国に行ってノウハウを持ち帰ってきます」と意志表示をしました。人には運命というものがある。直感は大切だ。自分の決断を信じよう。私が決めさえすれば,上司は賛成する。こんな思いから,先の見通しもない中で下した決断でした。

 こうした経緯で,渡英が決まりました。当時私は30歳でした。

(次回に続く---6月6日火曜日掲載予定です)

【この記事はプロマネのポータルサイト「ザ・プロジェクトマネジャーズ」との連携コンテンツです】