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前回からの続きです)

 夢と希望と少しの不安を抱え,待ち遠しい渡英の日がやってきました。妻と当時1歳だった長男とは,空港で別れました。妻は寂しそうではありませんでしたが,私は寂しく思いました。

 1985年7月30日,成田発ロンドン行のJAL432便は,定刻より早くヒースロー空港に到着しました。

 当時ロンドンへの直行便はなく,アンカレッジ経由でした。8時間ほどかけてアンカレッジに到着し,そこでまずいうどんを食べました。東京なら許されない味ですが,このうどんのまずさはその後半年間,帰れない日本を思う“郷愁の味”となりました。

 半年間の英国での生活はどうなるだろうか? 飛行機がヒースロー空港に近づくにつれて,私はいろいろな思いを巡らせました。

 空港でカウンターの向こうに髭面の紳士が見えました。私の常駐先である英BIS社で半年間,私のパートナーになるジョンでした。私も多少の不安は抱えていましたが,ジョンは私よりももっと不安そうに見えました。

 無理をしてでも,余裕を見せなくてはならない。なめられてたまるか! 「はじめまして,私が林です」。“髭”は,「こちらこそはじめまして。お疲れではないですか?」と言いました。

 今から考えると,当時のジョンはかなり不安がっていました。後から判明した事実ですが,彼はコンサルタントとしての仕事がイマイチだったので,私の担当にされたのです。誰が好きこのんで人種もカルチャも違う,何を考えているかわからない東洋人の担当になるでしょうか。

 兎にも角にも,私は無事にロンドンに到着し,早速仕事に取りかかりました。ジョンが押し付けてくる計画に私が文句を言って議論を始めると,彼の頭の固さが邪魔をして,ますます混乱する。最初のうちは,こんなことがしばしばでした。机の影から,ジョンの「畜生!」という独り言が聞こえてきました。こちらも苦しかったことは確かですが,ジョンの方が私よりはるかに悩んでいたようでした。ただ,そんなことを繰り返しているうちに,お互い付き合い方の“学習効果”が出てきて,何とか正常な関係を構築できました。

 BIS社はコンサルティング,金融系のパッケージ・ソフトの開発,システム・インテグレーション(SI)を主な事業とする会社で,ロンドンを中心にヨーロッパや米国に拠点を構えていました。BIS社は複雑なアプリケーションを開発するための体系的なメソドロジーを所有していることが最大の強みでした。英国政府における標準の開発だけでなく,ロイヤルダッチシェル,ロイズ,ナットウエスト銀行,ブリティッシュ・エアウェイズなど一流企業に開発手法やマネジメント手法,そしてソリューションを提供するほどの一流SIベンダーでした(BIS社は1990年代に入り,米NYNEX社に買収されました)。

 半年の間で,私はBIS社のメソドロジのトレーニング・プログラムを7~8回受講しました。もちろん机上のトレーニングだけではありません。BIS社のコンサルタントの下で,実際の現場におけるコンサルティング業務のOJTをみっちり受けました。

 BIS社のトレーニング・プログラムは,1コース4泊5日の合宿制でした。おそらく私だけでなく,日本人をはじめ外国人には大変なものだったのではないでしょうか。

 あるコースは,ロンドンから2時間ほどのイーストボーンという南の海岸沿いにある避暑地で開催されました。避暑地のホテルというのは歓迎ですが,外国人を含む4~5人のチーム編成で,毎日夜の10時過ぎまでケーススタディに取り組むのですから大変です。私はイギリス人,イタリア人,フランス人,エジプト人と同じグループになりました。国が異なる人々とチームを組み,延々とワークショップに取り組まなければなりません。1週間まったく日本語が使えない日々が続きました。

 一方こうしたトレーニングに比べると,コンサルタントとの同行は勉強にもなるし楽しいものでした。ガス会社に開発標準を導入するという案件に同行する機会がありました。英国のコンサルタントは,私の眼にはかっこよく映りました。コンサルタントは質問に的確に応答し,ホワイトボードにE-R図を書きながら説明を始めました。私は「これがコンサルタントと呼ばれる人の行動だ」と思いました。また,「私もこのコンサルタントのように振舞うことができればかっこいいだろうな」とも思いました。当時日本では見あたらなかった目指すべきモデルが,英国には存在したのです。

 私は空き時間を見つけては,方法論の自習と翻訳,日本でBIS社と同様のトレーニング・プログラムを実施するための準備を進めました。方法論は知れば知るほど好きになりました。私の人生で初めて「充実している」と実感できたのが,BIS社で過ごした半年間でした。

 このような形で,「モデルベース開発方法論」への取り組みが始まりました。そして私は20年経ったいまでも,現在経営するアイ・ティ・イノベーションで方法論に関する取り組みを続けています。

 偶然出会った一冊の本(前回を参照)のおかげで,アイ・ティ・イノベーションの基礎を作ることができたのは幸運でした。モデルベース開発方法論,ITアーキテクチャの構築手順,マネジメントの基本,自動化ツールの導入,標準化へのアプローチなど,2000年代の複雑なIT環境に必要な基本要素のほとんどを,20年前の時点で体系的に勉強できたのです。

 さて,この本は後に私が監訳を担当し,「管理職のための構造化システム開発」(発行は日経BP社・廃刊)というタイトルで世に出しました。英国に滞在していたとき,学んだ方法論をどうやって日本で普及させるか終始考えあぐねていましたが,書籍の出版という形で,その筋道が立てられました。

基本はいまでも変わらない

 私が英国で学んだ方法論やシステムに対するアプローチは,2000年代のシステム開発にも十分通用しています(そう考えると,「ITIL」をも開発した英国はメソドロジー最先端の国と言えるでしょう)。

 基本的なことは,今も今後も変わりません。変化する部分は,表層のアーキテクチャ,スピード感,ツールなどですが,ここも原理さえ理解していれば,自信を持って対応できます。

 2000年代という時代を生きる若いエンジニアに,ぜひ伝えたいことがあります。「20年前も今も,ITのカルチャは基本的に変化がない」ということです。また,改善改革の心,そして努力はいまでも変わらない要素です。それと合わせて,「一般論や常識は一度は疑ってみるほうが良い」とも申し上げておきたいと思います。

 ものごとを変革するには,疑い,強い動機,勇気,持久力が必要です。私は渡英と方法論の獲得という「変革」に挑戦することで,問題の本質が理解できたし,多くのものを得ることができたと感じています。

 私は,英国で仕事ばかりしていたわけではありません。むしろ大いに楽しみました。英国の良さは,2週間や3週間では分からないと思います。2ヶ月ほど経つと,じわっと分かってきます。見えないものが見えてきます。徐々にしみ込んでくる感じです。「英国生活・遊び編」は,またの機会に。

 それでは,また。

【この記事はプロマネのポータルサイト「ザ・プロジェクトマネジャーズ」との連携コンテンツです】