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とある請負型のSIer、というか普通のソフトハウスでのできごと。
下請仕事で成功し成長したこの会社、直接請負をはじめた。
時はあたかもオープン化の波がやってきた80年代の後半のこと。

メーカー系がハード価格の下落で提案力が弱まってきた頃、業を煮やしたユーザーが「御社、直で契約しようよ」ともちかけた。新しい提案がないなら高い値段で、ハードメーカー経由でSEを買う必要はない。
ソフトハウスは単価が上がり、ユーザーは下がる。いわゆる「なかぬき」でWin-Win。

うるさかったハードメーカーはオープン系なヤツラの襲来に伴い、売上げ下落で営業を削減。納期と価格しか説明出来なくなった彼らはもうそれどころではなくなってきて、「めんどくさいからソフトは直でやってください」となってきた。

最初はよかった。
昔ながらのユーザーだから黙って人出しをしてればよかった。
客もこっちの懐具合を知ってた。会社のレベルも分かってくれていた。
円満にビジネスは拡大していく。
それを経営陣は「力がついた」と錯覚した。

そこで、新規受注をはじめた。
ビジネスモデルがまったく変わっているのにそれには気づかない。

相変わらず、営業のノルマは「受注額」のみだった。
「なんでもできます営業」が嘘ばかりついて。
コントラクトがなにかも知らない営業が契約書を書いた。
だって売上げや利益は関係ないもんね。

大型受注が連続し、経営者は狂喜した。
そして1年後、赤字プロジェクトがゆっくりアタマをもたげ始めた。
そして2年後、巨額の受注残は終戦直後の軍票となった。
さらに3年後、不幸なできごとが責任感の強い社員の身に、におきた

これが実話だとか、フィクションだとか、あえて書かずとも
同時代を生きた方はこれと似たような体験をなぞっていることだろう。
「古い」読者諸兄は記憶が、映像が、そして匂いさえ甦ることだろう。
そうだ、小学校のとき上級生に殴られて鼻血が出たときの匂いだ。
突っ伏して砂利を噛んだ味だ。
僕だってもう、思い出したくもない。

なぜこんな事件が起きたのか。
営業の本音とSEの本音のギャップ?
そのせいなのか?
そのギャップをどうしようというのだ。
ギャップはあってあたりまえなんだ。

「こっちは1点で押さえてるのに打線が悪い」
「打っても打っても点を取られる投手陣が悪い」
お互いが罵り合うプロ野球チームに優勝はない。

そのギャップを埋めるのは誰の仕事だというのだ?

(つづく)