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 先日あるプログラマから,「よく,何もないところからポンっと,形とか色とか思いつきますねえ。頭の中にデザインが浮かんでくるのですか?」という質問をいただきました。デザインを職業としていない人にとっては素朴な疑問なのでしょう。じつはこれに類する質問を割とよくされることが多いのです。

 別に,「ポン」とでてくるわけではありません。それに最終の形がふっと浮かぶこともありません。モーツァルトは,頭の中に浮かぶ音楽を五線譜にすらすらと書き写したといわれていますが,頭の中のイメージを紙に描いて完成ということは,やはり天才でなければできないでしょう。それは作曲でも,造形作家でも,料理人でも同じではないでしょうか。クリエイティブと呼ばれる仕事は,どれも「産みの苦しみ」を伴って創られるものです。

ターゲットを調べることから始める

 デザインでは,クライアントの意向(好み)と条件(お金や時間など),プロジェクトの目的を伺ってから,その目的を達成するためにどんなデザインがふさわしいのかを考え始めます。このデザインは誰が使うのか,誰に向けてデザインするのか,ターゲットを定めます。そしてこのターゲット層に関して情報を集め,研究します。

 30代の男性がターゲットであれば,彼らが読む雑誌,好むもの,考え方,彼らに受けている商品などを調べ上げます。なぜなら,彼らに「いいな」と思ってもらう必要があるからです。そこから,形や色の方向性を定めて候補を出していきます。

 企業のWebサイトを作る場合も同じです。その企業の歴史はもちろん,関連業界全体の情報とその中の位置づけ,どのようなイメージでその企業を業界の中で見られるように仕向けていくのか,それにはどのような写真をどんな表現で使用するのか,イラストのタッチ,コピーの文体,読んでもらえそうな文字のボリューム——などなど,調べる項目を挙げていけばきりがありません。

 こういった情報を集め,分析し,デザインの方向とコンセプトを固めるには,実はたくさんの手間と時間がかかります。Macの前で造形的な作業をするのはここからです。

デザインとアートは違う

 いわゆる「かっこいい」だけのデザインであれば,センスでいくらでも作れてしまいます。しかし「使える」デザインは形や色が美しいだけではダメで,機能しなければデザインではないと私は思っています。そこが作曲や,造形作品や料理などの「アート」と違うところです。

 「アート」はその作品が作者の主張であり,その主張に対して必ずしも大勢の賛同がなくてもかまわない世界です。その作品が好きな人もいれば,嫌いな人もいる,現代美術や現代音楽なんて「評論家以外に誰があんなの鑑賞するの?」などと思ってしまうように難解なものが多いですよね。芸術はそれでいいのです。人生を豊かにするための嗜好品ですから。

 しかし,デザインは,ターゲットの人たちに「いいな」と賛同をもらわなければなりません。賛同をいただける確率が高い造形で,見る人の心や感情を動かさなければならないのです。そのためには,造形的なセンス以外の部分である,社会的,科学的,心理学的,経済的,経営的な感覚や知識が必要になるのです。「産みの苦しみ」といっても,芸術とはやや意味が違うわけです。

 デザインが,決してなにもないところから「ポン」とでてくるわけではないことがおわかりいただけたでしょうか。

 逆に,私はプログラマってすごいと思うんです。目に見えるのはソースコードしかありません。様々な意味やルールがある文字を打ち込んでいき,何千,何万というテキストの羅列を見て,「ここをこうすると~この色で,こうなると~」なんて,頭の中にイメージを膨らませていく作業は,私からすれば驚くべきことであり,尊敬のまなざしで見てしまいます。「どうしたらあんなことできるの?」と質問したくなってしまいます。


デザイン料ってそう考えると高くないでしょ?