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 「Webを介して『あちら側』にデータや機能を置くのが今の流儀だ」「いや,『こちら側』,つまり手元の端末側にデータや機能を置くのも捨てがたい」---。梅田 望夫氏が「Web進化論」(筑摩書房発行)で分かりやすく説明して以来,「データや機能をどこに置くべきか」の議論が活発になっている気がします。様々な文書ファイル,メール,iTunes Music Storeで購入した音楽ファイル,はたまたセキュリティの鍵や,Google Browser Syncが対応した各種アプリケーションの設定パラメータのような類のデータに至るまで,その保管場所が問題となるケースは少なくありません。どこに置いたらよいのでしょう。「あちら側」でしょうか,「こちら側」でしょうか。

「こちら側」でデータを管理してきたPCの歴史

 ワープロ文書,表計算シート,日々のメモ書きなど,PCで作成した電子的データは伝統的に,ローカルのハードディスクなどの「こちら側」に置いたりCD-Rなどの可搬型メディアに記録したりするのが常識でした。これは,パーソナル・コンピュータの黎明(れいめい)期にフロッピ・ディスクにアプリケーションのデータを保存するようになって以来の伝統です。PCがLANで接続されるようになっても,自分のデータはファイル・サーバーよりも自分のPCに保存する人が多いのではないでしょうか。

 一方,PC以外の汎用機やミニコン,ワークステーションの世界では,昔からデータを「こちら側」というか,手元に置くのが当たり前でない状況が続いていました。Unixでは,ネットワーク上(といっても主にLAN上)でデータを物理的に共有する仕組みが前提でした。また,クライアント/サーバー方式が浸透すると,ディスクレスのワークステーションが販売され,(物理的な意味での)シン・クライアントが追求されるようにもなりました。汎用機の場合は,そもそも,在宅作業のために職場と「同じマシン」を自宅に置き,データをフロッピ・ディスクなどで持ち帰るなんて考えられません(笑)。

 「個人のツール」として80年代に喝采をもって迎えられたパーソナル・コンピュータ。このPC上で,基本的には「データ開放派」が「データ閉じ込め派」に勝利したわけです。ちなみにPC以外の世界では,データ開放派が必ずしも主流というわけではありません。例えばレセコン(レセプト・コンピュータ)と呼ばれる医療事務用コンピュータでは,最近までデータが取り出せないのが当たり前でした。PCでデータ開放派が勝利した背景には,PC間でのデータのやり取りに対する需要が大きかったことや,MS-DOSテキスト・ファイルなどによってアプリケーション間である程度データ交換が可能だったことがあるでしょう。

 このほかPCでは,データの取り出しとともに,私的バック・アップの権利なども個人レベルでは当然のことと認知されるようになりました。

 ただ,こうした権利はその裏返しとして義務を伴います。突然ハードウエアが壊れたり,バグによる動作不具合が発生したりといった,無数の原因によるデータ破壊のリスクを一般の人々が背負い込むことになりました。ITやシステム管理の専門家ではない一般のユーザーが,データの保全に気を遣わなければならなかったのです。

 この問題をある程度解決できるというだけでも,2000年から2001年にかけて第1次ブームとなったASP(Application Service Provider)は存在意義があったと言えるでしょう。最近では,SaaS(Software as a Service)と呼ばれたりもしますが,そのメリットはよく言われる「ソフトを必要なだけレンタル」というビジネス・モデルだけではありません。個人がデータ保全の難行苦行から解放される,という効果に期待する向きも少なからずあったはずです。

Web 2.0アプリが「こちら側」か「あちら側」かの決断を迫る

 残念ながら,このときのASPは時期尚早で,少なくともビジネスとしては多くのプロジェクトが失敗に終わりました。理由はいくつかあります。まずこの時点では,ブロードバンドがそれほど普及していませんでした。また,ターゲットとなった中小企業のIT化も,現在よりはるかに遅れた状況にありました。既存のソフトウエアをサービス化し,オンラインで機能を提供するようにラッピングする技術も未成熟だったと言えます。

 しかし優れたアイディアは,一度廃れても潜伏し形を変えて再登場するものです。特に,エンドユーザーをデータ保全の難行苦行から解放するという利点は,少なくとも一部のユーザーからは十分歓迎されてしかるべきものでした。

 ニーズのあるところには必ず新商品,サービスが現れます。ISP(インターネット・サービス・プロバイダ)やITベンチャー企業で,オンライン・ストレージとしてファイルを預かるところが出てきました。ただ,毎日使ってもらうには,Webメール機能にストレージを付属させるなどの工夫が必要でした。さもなければ,ユーザーはIDやパスワードすら忘れてしまうでしょう。こうして,Gmailに始まる競争の火ぶたが切って落とされ,各社が大きな添付ファイルでも保存可能なメールボックスを無償で提供するビジネス・モデルを追求し始めました。

 ワープロ・ソフトや表計算ソフトに代表されるデスクトップ・アプリケーション側も,手をこまねいていたわけではありません。例えばジャストシステムは,大規模メールボックスが出現する前から,一太郎の正規ユーザーに対してパーソナル・オンライン・ストレージ「InternetDisk」を無償で提供していました。

 とはいえ,デスクトップ・アプリケーションとほぼ同等の機能をもち,使い勝手の面でも追い付き追い越すようなWebアプリケーション群(WritelyZimbra, Google SpreadSheetsやiRows)の出現は,「データをどこに置くか?」という根本的な問題を突きつけました。我々はもはや真正面から考えざるを得なくなり,決断を迫られつつあると言えます。

Web 2.0は「こちら側」のデータを「あちら側」に移す運動?

 これらのWeb 2.0的サービスを使う場合,特に,これらが通常のブラウザ上で動作するものである場合(非ブラウザのWeb 2.0的サービスもあります)は,必然的にデータを「あちら側」に置くことになります。ActiveXコントロールなどを利用しない限り,Webブラウザはローカルのファイルにアクセスできないからです。

 また,ビジネス・アーキテクチャ的に考えても,データを「あちら側」に移す動機を見出すことができます。Tim O'Reilly氏が唱えたWeb 2.0の原則を煎じ詰めると,以下の2点がポイントとなります。

  • 巨大データがものを言う([メタ]データを集めさせてもらいます!)
  • ユーザー参加(ユーザーはデータを作って供出せよ。その代わりストレージ機能を含む様々な機能を無償で提供します

 カッコ内は,「あちら側」で一人勝ちを目指す野心的な企業の本音を表したものです。彼らにとって,ユーザーの作り出すデータを引き出し,大量に集めることが鍵となります。ここでいう「集める」は,銀行預金のようにデータ本体を預かるほか,メタデータだけ自動生成して集積するような仕組みでもかまいません。いずれにせよ,これらが重要だからこそ,大変な苦労をしてAjaxと格闘し,クロス・ブラウザ問題を解決してアプリケーションをWeb化しているわけです。

 筆者は以前,「なぜ,ワープロ・ソフトや表計算ソフトといった古い概念のアプリケーションをWeb化する企業がこんなに多いのだろう?」と疑問に思っていました。これらのWeb化されたアプリケーションは,Webの特徴を生かした「新しい種類」のアプリケーションでもなければ,斬新な機能を備えているわけでもありません。しかし「『あちら側』にデータを移動させたらこっちのもの!」というビジネス的な動機が先にあったのなら納得できます。一般ユーザーがそれによって本当に幸福になれるのか,何か大きな代償を払わせられたりしないのか,という問題は全く別に存在するわけですが・・・。

 次回以降,「データをどこに置くべきか」という問題をもう少し掘り下げるとともに,「あちら側」と「こちら側」の連携について取り上げたいと思います。さらに,この連携を取り持つWebアプリケーションや非ブラウザ・アプリケーションの事例についても紹介する予定です。ご期待ください。