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 前4回のテーマ「再考2007年問題掲載」の登場人物YさんAさんと,名古屋に帰って会ってきました。現役のSEマネージャーK君,コンサルのS君と日経BPの谷島さんも何故か一緒です。これからの5回シリーズはそんな話題にします。後半はほろ苦い話題になってしまいました。

 私のかつての上司,Yさんは退任されて1年以上経っていますから,昔のような切れ味はないだろうとタカをくくっていましたが,三河弁の速射砲トークは健在です。最初から最後までYさんのトークが軸で私が迎合する意見を言い,若いK君S君に虎の威を借りて当たり,Aさんが私をからかうとの構図で盛り上がりました。ICレコーダで録音したのですが,酔っ払いですから同じ話を繰り返しています。

 YさんAさん私の3人の口から一番多く出た言葉は“バカ”です。これは飲んだ時の私の口癖ですが,どうもYさんAさんの影響もあったようです。誰に対してもバカと言うのではなく,リコウぶっている人間,机上論だけで現場を知らないコンサル屋,偏差値が高いだけでアイデアが出せない人間,無能な上役などに対してバカと言います。昔からこのITサービス産業は圧倒的少数の優秀と膨大な凡庸で成り立っている業界です。

 YさんAさんは,飛びぬけて優秀なSEです。社会人になって最初に遭遇し,薫陶を受けインプリンティング(刷り込み)されたのは全くラッキーでした。私も含めこの3人は価値観が似ているのです。新しいものや面白そうなものや難しそうなものには,ワクワクします。対象はユーザービジネスです。ITのない業務改革は,辛気臭くシンドイですが,ITを武器としたら全く様相が違ってきます。

 業務や現場を見ながら,ITをどのように使ったらどのような業務改革ができ貢献できるのか,そんなことばかり考えていました。本部の人達の相談相手,リースの売上を伸ばすにはどうしたら良いのか,当然他業界のリ-スを勉強しなければなりません。Yさんが稟議(りんぎ)書を作って経営陣に出したらほとんどOKでした。裁量権があるのです。当然経営効果を出さねば,狼少年になってしまいますから,全身全霊でプロジェクトにあたりました。

 会社は上意下達が普通です。そんな会社組織の文化の中,自分達の裁量権で,喜ばれることを新しい技術で挑戦することの面白さは尋常ではありません。脳内麻薬やドーパミン報酬系がワンサと出ます。SE冥利を満喫していましたネ。

オペレータ経験生かし運用システムを開発

 私が入社した時,Yさんはガスポス(ガソリンスタンドPOS)を開発し,愛知県下100以上のガソリンスタンドに納入していました。納入を始めたのは1970年ですから,コンペティターはナッシング,入れ食い状態です。システム部に入って1年の間,私はオペレータでした。その後Yさんの部下になり,このガスポスビジネスのSE(システムエンジニア)を担当しました。SEは私と後輩の1名,専属営業2名,Yさんが係長で課長(営業担当)が1名。女性スタッフが2名の小規模な独立ユニットです。これが,前4回で紹介した世界初のカーディーラー向けサービスオンラインが始まる直前の仕事でした。

 ガスポスでは,お客さんがドンドン増え,システムへの要求も幾何級数的に増えていきました。計量器メーカーとの連携作業もありました。歯車の回転数を拾って,ガソリンの販売量を算出するメカニズムですから,誤差が出ます。誤差が大きくなれば,お客は怒ります。スタンドのオヤジがシステム部に大きな声で入ってきます。SEは怖くて下を向いていました。また,「品転」と言う商慣行もありました。品番転換のことで,ガソリンスタンドで購入したガソリン以外の商品をガソリン代として落とす,企業運転手の大昔からの慣行です。グリーンカードシステムという口座引落制度も各銀行と契約しました。新しいことは,ほとんどがYさんの発案です。

 私は,専門学校卒の新人SEと2名だけでSE実働部隊でした。その新人はいまは役員です。当時は,ガソリンスタンド100社以上から毎日,紙テープが届きます。日次処理を終えたら,出力資料を送り返します。愛知県下の営業所を巡回する「自社メ-ル便」は,午前と午後2回便が出ますが,その便に乗せるため,出力資料を配布先別に袋詰めをします。

 ガソリンスタンド100社と言っても,それぞれ事務センターや本社への配送もあります。出力資料もそれぞれのスタンドごとに違います。配送分けは至難でした。ミスも日常的に発生していました。そこで,何とかしたいと考えに考えて,出力されたリストファイルのヘッダー部分を読み取って配布先ごとにマージし,配布先情報を花文字にしてセパレートすることにしました。「リストマージ」と言っていて,これはその後も重宝しました。

 ディスク容量は今のようにフンダンにありません。主記憶も512K~2MB,重い大きな(30X50cm)リムーバブルのディスクパックも,何と容量はたった200MBです。体育館の大きさのENIACが,ムーアの法則にしたがってノートPCになる過程の時代のことです。ジョブステップの開始時に容量を確保しますが,大きな容量を確保できなかったり,やっと確保できても処理中にオーバフローしたら異常終了です。毎日それが繰り返されていました。
 
 JCL(ジョブ制御言語)の入力は何とカードです。異常終了したら,該当カードを持って来て,JCLを修正して再実行です。これも大変な負荷でした。そこで,JCLをファイルにし,コンソールから再実行用のJCLを再生成する運用システムを作りました。1~2年後に富士通が同じ目的のジョブ制御マクロを製品として出してきたので,全て移行しましたが。当時は,オペレーションを容易にするこうした運用システムを相当数作った記憶があります。SEになる前,私に1年間のオペレータの現場経験があったからです。

 当時はオンラインでもDB(データベース)なんてありませんから,ISAMファイルでした。こんな骨董品のようなファイルでも,うまく設計して能力を引き出すと,今でもレスポンスはDBをしのぎます。リソースが増え,DBなどミドルウエアが充実し,SEはバカになっていったのです(正確に言うとバカでもできるように…)。

 今では,優れたミドルウエアやツールやハードウエアが普及したため,アプリ構築に悩むことはありません。悩まないで済むということは,凡庸なSEが作成した「動けば良い」というだけのアプリケーションが増えてくるということです。間違っていないだけの膨大な劣悪プログラムが稼働し,それらは湯水のようにリソースを使います。ネーティブな部分はドンドンBlackBox化されていきます。SE(システムエンジニア)ではなくRE(リテラシーエンジニア)。まさに「バカでも…」となったのです。そのおかげで,凡庸な大量のSE/プログラマを必要とする人月ビジネスモデルを可能ならしめました。

 Yさん達が開拓したガスポス事業は,その後,石油元売メーカーが参入し,一蹴されてしまいました。ガスリン代の卸価格で精算されてしまえば勝負になりません。以上,トヨタ販売ディーラの情報システム部の社外ビジネスです。大昔の1970年当時ですゾ!本当に自由でやりたい放題の独立愚連隊,面白かった! 懐かしき黎明の時代でした。

 次回は光速?開発の話です。