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図1:米国の小売・流通業界では今、“Experience”がキーワード。アパレル専門店のAbercrombieは最もホットなスポット。写真はスタンフォードショッピングセンター内にあるショップ
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図2:Wall Painting
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ズン,ズン,ズン・・・・・・
ブブン,ブン,ブン,ブブン,ブン,ブン・・・・・・

 足の裏から振動が伝わってくる。薄暗い店内。イケメンのお兄さん達が,そのたくましい胸をひけらかすがごとく上半身裸で,しなやかに歩いていく。無意識のうちにミラーボールに照らされた「お立ち台」を探してしまう。

 Abercrombie NY五番街店。

 彗星のごとく登場し,今,もっともホットなアパレル専門店の一つであるAbercrombie(通称アバクロ)。人気の秘密はどこにあるのかと以前から不思議に思っていましたが,その謎はこの五番街店に来てすぐに解けました。まるでディスコにいるような錯覚を起こさせる店内の雰囲気は,ちょっとワルになった気分にさせるような,人を酔わせるような不思議な魔力を持っているのです。これこそ,“Experience”だなと実感しました。

 エクスペリエンス(Experience)は,ここ1~2年の小売・流通業界のキーワード。ひとことで言うなら,物やサービスをパーソナル化したのがエクスペリエンスです。画一的で不特定多数を対象に開発されている製品やサービスを,「自分だけのもの(パーソナル化=to personalize)」として利用してもらうという点がミソなのです。

 もっともエクスペリエンス自体はマーケティング専用のコンセプトではありません。

 ITの分野で目指す「ユーザーエクスペリエンス」は,アプリが凍らないとか,ハングアップしないとか,プログラミングができなくても簡単にクエリができるとか,ネット・アクセスがさくさくっといくとか(この「さくさく」は日本語として名言であり,だからこそ英訳し難い!),ウェブサイト(ホームページ)の見た目が良いとか。

 裏を返せば,「今まで使い心地が悪かった,だからそれをユーザー志向で設計(user oriented design)改善すれば,better user experienceになって,顧客満足度(customer satisfaction)も高くなるはずだという,いかにもアメリカ的発想。でも,それってことさらに言うような事ではなく,本来,モノやサービス提供する立場からすれば当たり前のことなんですけどね。

“体験して,感じる”ことがエクスペリエンス


図3:Parking log
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図4:Nieman Marcus
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 エクスペリエンスを用語化したノーマン氏率いるニールセン・ノーマン・グループは,エクスペリエンスを「つまらぬいらいらや面倒なしに,顧客のニーズを正確に満たすことであり,さらに所有する喜び,使用する喜びとなる製品を生産するといった簡単,簡潔なことである」と定義していたそうです。

 「顧客は,欲しい物を,必要な時に,必要な分だけ提供され,さらに実際に物やサービスに触れることによって,嬉しいとか,楽しいとか,満足するとか,(もしくは不満,苛々,怒りといった)何らかの感情が湧く,何かを感じるという経験をする」ということと私は解釈しています。

 これを式に表わすと次のようになります。

 エクスペリエンス=体験+感情の応答

 例えば,アバクロのTシャツと,GAP,Esprit,Old NavyのTシャツを比較した時,Tシャツという製品そのものに大きな違いを感じますか?アバクロのトナカイ,ラコステのワニのように,ワンポイントマークと呼ばれたこともあるロゴが差別化要因になっているでしょうか?ユニクロとアバクロ,価格で勝負する戦略だと言えますか?ハイティーンやヤングアダルトが来店してショッピングすることに大きな意義を感じているのは,そこでの体験がエクスペリエンスだからなのです。

 もう一つ,エクスペリエンスの成功例をご紹介しましょう。NYの「American Girl Place」は,五番街と49丁目の角にあります。ここは女の子達の高級お人形さんごっこを狙ったビジネスモデル「Just like you」で有名です。

 人形の目鼻立ちは全く同じですが,髪の色やヘアスタイル(三つ編み,ポニーテール,ショートヘア,おかっぱなど),めがねやそばかすの有無などによって多様性を持たせ,「あなたそっくりの人形が見つかる」ことを“売り(value proposition)”にしています。

 しかも人形とお揃いで着られるような女の子用のセーターやキャップも売っています。人形の髪のとかし方やヘアスタイルの本もあります。女の子にうけそうな小説やパズルの本や,イメージガールのビデオもあります。その上,店内のカフェには人形用の椅子も用意されていますし,シアターもあります。ショッピングそのものにエクスペリエンスが満載されているのです。

 人形を買うことで,あたかも自分の妹を得たような体験(エクスペリエンス)になっている。ヤッピーな団塊ジュニアが親になった今は少子化時代。時代をうまく捉えたビジネスモデルの優秀賞と言えるでしょう。ビデオゲームは女の子のハートを捉えきることができずにいましたが,バービー人形のマテル(1945年創業)がPleasant Companyを1998年に買収(2004年に社名をAmerican Girlに変更),90年代後半から続いていた不調からの再起を図っています。

 日本でも,あの大ヒットしたたまごっちだってエクスペリエンスですし,癒し系サービスなどもエクスペリエンス。エステが流行るのも,単にお肌がきれいになるという結果だけの問題ではなくて,エステの雰囲気,リラックス感,充足感,リッチやセレブになった気分というエクスペリエンスだからでしょう。

過去の経験でも,仮想世界でもない“リアル”


図5:Courtyard
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図6:Alley
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 Experienceなんて中学の英語の教科書に出てくるような単語であり,通常は「経験」という訳語しか知られていませんが,小売・流通業界のExperienceは「エクスペリエンス」とカタカナ語にせずにはいられないような独特の意味を持っています。日本語で「経験」というと,「やったことがある」という過去の事象を指します。これに対してエクスペリエンスは,「今,感じている」,その瞬間(Here & Now)に着目しているのです。

 またエクスペリエンスは,疑似体験,仮想世界にも通じるものがあります。実体験はできないからせめて疑似体験(virtual experience)だけでも,ということになる。そして疑似体験をさらにリアルなものにしようとして仮想世界を構築する。

 ただし,仮想世界での経験には,ひとつ大きな心配があります。実世界は不可逆なもの(例えば壊したり,傷つけたり,殺したりすること)がたくさんあるのに,仮想世界(virtual world)ではあっさりとリセットできてしまうでしょう?実世界を知っているからこそ,「仮想世界での経験」は疑似体験としての意味を持つのですが,実世界での経験が少ない人や,仮想世界に意識が傾倒し過ぎている人には,実世界の不可逆性が理解できないのではないかという不安と恐怖がつのります。

 とりあえず今のアメリカの小売・流通業界が仕掛けているエクスペリエンスは,実世界で,消費者が物やサービスに触れ,その刹那に心が躍る,心を動かすという,とてもリアルなものなのです。


図7:Nordstrom
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