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 1990年代後半,ソフトウェア開発プロジェクトなどでよくフィリピンに出張しました。フィリピンは火山国で自然の大変美しいところであり,ルソン島南部のタール火山やタール湖などの風景の美しさを今も覚えています。今回は記憶に鮮明に残っているスービックという街に出張した時の出来事をお話しします。

 スービックはマニラから120kmほど離れたバターン半島の根元に位置しています。元は米国海軍基地でしたが1992年に返還され,自由貿易港地域やリゾート地として生まれ変わりました。

 たった120kmの距離ですが,車だとマニラ市内の渋滞や道路の悪さのため4時間以上もかかることがありました。フィリピンでは,1991年にマニラの北西90kmに位置するピナツボ火山が大噴火し,河川は火山灰で埋まり,家屋倒壊,農地壊滅などの甚大な被害が出ました。

 マニラ市内からスービックへ続く河川脇の道路や家屋も火山灰で埋まりました。1990年半ばになると道路はある程度整備されたものの,河川周辺を車で走る時は,溶岩流の跡や焼け焦げて火山灰に埋まった家屋などが目に入り,自然災害の恐ろしさを感じました。また,当時は夜になると道路周辺も真っ暗になり危険だったため,常に昼間に移動することにしていました。

突然のエンジン・トラブル

 その日,乗っていたワゴン車が道路の真ん中で突然ぷつっと止まってしまいました。フィリピン人2人,シンガポール人2人,そして私の計5人でワゴン車をチャーターし,マニラからスービックに向かっていた時のことです。

 午後市内のホテルを出発し,渋滞した道路を2時間近く走っていたので,辺りは暗くなりかけていました。交通量のとても多い道路のど真ん中で,乗っていたワゴン車のエンジンが止まってしまったのです。多数のバス,トラック,乗用車などが恐ろしく速いスピードでワゴン車の横を容赦なくすり抜けていました。

 「思ったとおりになってしまった。だから車を替えろと言ったのだ」と自分自身に文句を言いました。

 その日の午後,ホテルの前に止まっていたのは韓国製のワゴン車でした。車に乗り込みディーゼルエンジンがかかった時,大きく異常なエンジン音がしたので,私はいやな予感がしました。「この車はおかしい。エンジンがつぶれかけている。車を替えて欲しい」と車をチャーターしたシンガポール人に話し,レンタカー会社と交渉させました。しかし,らちが明きません。結局,代車はなく時間もなかったため,やむなくそのまま出発しました。

 出発はしたものの,異常なエンジン音はだんだん大きくひどくなり,とうとうエンジンが潰れてしまいました。ワゴン車が停止した道路の交通量は多く,道路灯もないため,すべての車のヘッドライトが異常に光り,こちらに突進してくるように見えました。

 フィリピン人の1人がハンドルを握り,私も含めて残り全員が外に出て車を押しました。シンガポール人の1人が道路の真中に立ち,突進してくる車に手を振り,故障車移動中の合図をしました。私は全員が車に轢かれそうなので,生きた心地がしませんでした。そうこうしているうちに何とか車を安全な道路脇に止めることができ,私は安堵しました。

強行軍の果てにホテルに帰り着く

 シンガポール人の1人は長年付き合いがある信頼できる部下でした。彼はとても用心深い性格で,フィリピンでは何が起こるかわからないと考えいつも携帯電話を所持していました。当時,携帯電話は高いので持っている人はあまりいませんでした。辺りには公衆電話もなく,電話を借りられそうなところもなかったので大変役立ちました。

 彼が携帯電話でレンタカー会社に迎えの車をよこすよう交渉した結果,2時間以内に車が来るとの回答がありました。それを聞いた私は,その車は今日中には来ないと直感しました。道路脇で待つこと3時間以上,案の定その車は来ませんでした。さらに1時間以上かけてタクシーを探し,ようやく市内の元のホテルに戻りました。午後早いうちにマニラを出て夕方にはスービックに到着する予定でしたが,運悪くその日の夜遅くマニラ市内のホテルに戻る羽目になってしまいました。フィリピン人やシンガポール人は,このようなことは日常茶飯事なのか,疲れた様子は全く見せませんでした。

 翌朝,ホテルに日本製の新しいワゴン車が迎えに来ました。新車のように外観がきれいでエンジン音も快調。安心感を覚えました。今度は何事もなくうまくスービックに到着できたことはいうまでもありません。

 知らない土地や事業では何が起こるかわかりません。私は常に信頼できる水先案内人から情報をもらい,助けてもらうようにしています。今回も現地に詳しい人間と一緒で,携帯電話もあったことが幸いしました。この事件以降,日本からの出張者に携帯電話を持たせることにしました。

日本製の名機も老朽化には勝てない

 また,別のトラブルに直面したこともあります。それは,ある朝早くスービックからマニラ国際空港にタクシーで移動したときのことでした。先の事件があったので,今度は日本製の車を頼みました。朝ホテルの前に停まったのは日本製の小型車でしたが,年式も古く概観から見て相当ガタがきているように見える車でした。

 「これでマニラまでたどり着けるだろうか?」と不安が頭をよぎりましたが,日本製なので大丈夫だろうと腹を決めて乗り込みました。3時間程度のドライブは順調でようやくマニラ市内に入ることができました。そしてあと30分ほどでマニラ国際空港に着く,これでようやく日本に戻れると内心喜んでいた矢先のことでした。

 隣を走っていた車のドライバーが,私の座っている後部右座席の下を指差して何か叫んでいます。それに気がついたタクシーの運転手は車を道路脇に止め外に出たので,私も心配になり出て見ました。すると,右側後方のタイヤがほぼぺちゃんこになっています。

 「パンクだ!でも,あと30分以内に空港に着かないと予定の飛行機に間に合わない!」私は運転手に話し,内心苛立ちました。すると運転手は私に「後部座席の左に乗って下さい。もっと左に,左側のドアにくっついて下さい!」と言いました。私はその言葉に従い人に見られてたら格好悪い姿で左側のドアに張り付きました。

 車は前輪駆動なので,2つの前輪と左側の後輪で車と人間の重量を支え何とか走りました。そして30分後マニラ国際空港に到着することができました。タクシーの外に出て恐る恐るタイヤを見ると,そのタイヤは完全にぺちゃんこになっていました。現地の人は経験により,日本では考えられないことを実践しています。今回も現地の人の助けにより何とか克服することができた次第です。

 車による移動は様々な事件に遭うため嫌になりました。そこで,当時マニラ国内空港とスービック空港の間を飛んでいた定期便も試しました。それは日本の名機YS-11でした。1980年代に日本の国内線でよく乗っていた飛行機であり,外国でまた乗るのは懐かしくまた嬉しい限りでした。

 しかしフィリピンで乗る同機は老朽化のせいか,離陸して少し上昇すると機体がミシミシときしみ,異常とも思える音が聞こえました。車は止まっても陸上なので何とかなりそうですが,飛行機は空を飛ぶので怖いと感じました。しばらくしてその航空会社はその定期便を中止してしまいました。マニラ空港ではまたいろいろなことを経験しました。それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

出来る限り安全なものを選ぶ

 20年以上前,車の恐ろしい話を日本の友人から聞いたことがあります。その友人はカーマニアで国産小型車を乗り回していました。ある時彼はひとりで高速道路を長時間ドライブし,下り坂を走ってサービスエリアの給油所に入りました。そして,「レギュラー満タンにして下さい」と頼みました。

 すると給油所の係員が「後ろのタイヤがありませんが,どうされましたか?」とたずねたとのことです。彼は「えー?」と驚き外に出てみました。すると,後ろのタイヤの一つがとれてなくなっていました。後輪タイヤ1つが外れても,車が前輪駆動でかつ下り坂であったため,給油所に入るまで彼は気づかなかったのでした。その事件以来,彼は2000cc以上の頑丈でより安全な高級車に乗るようにしたと話していました。

 自由主義社会では,値段と価値/性能はほぼ相関関係にあります。リスクの多い環境下では,これまでの経験上できる限り性能がよく,安全なものを選ぶことが大事と実感しています。


緑の美しいマニラ。雨季のため上空に雲が多い
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