PR

 「道半ばにして」――。NEC前社長の金杉明信さんが11月8日、亡くなられた。65歳だった。

 2003年3月に西垣浩司氏の後を次いでNEC社長に就いた金杉さんは、伸び悩むNECを“燃える集団”へ変身させる決意を語り続けていた。そのカギを握るITとネットワークの融合を推し進めるために、両部門のトップを入れ替えるなど様々な手を打ってきた。次世代ネットワーク(NGN)が浮上してきた今、ITとネットワークの融合は、ITベンダー各社にとってまさに欠かせない戦略である。金杉さんは役員フロアから事業部門のフロアにしばしば出向き、「あの案件はどうなっているか」と直接、確認することが少なくなかったという。

 ところが、半導体と携帯電話の両事業での赤字を押さえられず、苦戦を強いられてしまった。上場させていたNECソフトとNECシステムテクノロジーを完全子会社化するなどの打開策を打ち出すものの、その成果はまだ現れていない。長年担当してきたITソリューション事業への急速なシフトに対しても、「技術者のモチベーションを下げた」として、金杉さんの経営手腕を評価しない層があるのは事実だ。だが、種々の施策が成果になかなか結びつかない原因の一つは、「NECの実行力にある」と、NECのある役員はもらす。別の役員は「金杉さん以外の役員はすべて横並びだった」とも話す。

 インタビュー時の金杉さんは、常に現実を見据えていた。2年近く前の05年1月にインタビューしたおりも、「なぜ、NECのビジョンを語らないのか」との質問に対して、「もっと現実的なことをやるべきだ。ユーザーはよりよいものを早く安く作ることを求めているのだから」と、きっぱりと答えている。しかし、今、その記事を読み返してみると、金杉さんは明確な“ビジョン”を示唆していたことが分かる。

 ユビキタス・プラットフォームである。「これから重要になるのはブロードバンド・インフラとアプリケーションの中間にあるプラットフォームのレイヤーだ」と金杉さんは説明した。具体的には、課金システムや認証セキュリティ・システム、運用管理システムなどだという。まさに今のNECが最重要視とするNGNが目指す方向の一つだろう。金杉さんはここで他社を大きくリードし、さらにはユビキタス・プラットフォームを引き下げてアジア市場に進出することも描いていた。電子情報技術産業協会(JEITA)が06年7月に提言した「情報システム産業ビジョン2016」の内容と極めて近いものである。

 05年12月に開催されたNEC販売店会の懇親会に姿をみせた金杉さんは、海外出張からの帰国後だったためか、少し疲れているようだった。その後の06年3月に入院し、4月に矢野薫社長にバトンを渡した。当時は、病気療養を理由に社長を退くことを決意したと言われていたが、退院後は役員会などにも出席し、復帰に意欲をみせていたという。

 等身大の金杉さんは、親分肌で情に厚かった。記者が金杉さんと最後に会ったのは、1カ月前の10月4日に開かれた日本SGIのパーティーだ。挨拶に立った金杉さんは、「迷わず日本SGIへの出資を決めた」など、日本SGIへの思いを語っていた。同社の和泉法夫社長には、「キヤノンマーケティングやソニーなど、いい会社がさらに出資しパートナーになってくれて良かったね」と話し、心から喜んでくれたという。

 種々の懇親会などの場でお会いした金杉さんは、記者にはいつも「またいるのか」と声を掛けてくれた。ある時、NEC幹部と談笑していたら、金杉さんが幹部に「気をつけろよ」と耳打ちしながら通りすぎたため、その幹部が焦ってしまったことは今も忘れられない。幹部には冗談だったのだろうが、記者には「もっといい記事を書けよ」という激励のように聞こえた。

 金杉さんのご冥福をお祈りします。