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 私たちがサイボウズ株式会社を設立してから10年目に入りました。Webグループウエアを開発する会社として設立し,今もグループウエアをメインに商売をしています。我ながら,よく飽きもせずグループウエアばかりやってるなぁと思うわけですが,今のところ,飽きるどころか,さらにどっぷりとその面白さに浸かっています。

 もともと私はパソコン少年でした。中学のころにMSXパソコンでプログラミングを覚え,高校のころはZ80アセンブラと格闘していました。大学入学時,愛媛から大阪に出てきて一人暮らしを始めるとき,なにより楽しみだったのは「パソコン通信」ができることでした。自分専用の電話回線を使って,市内通話料金でダイヤルアップして!

 4年生になって入った大学の研究室には,サンのワークステーションがメールサーバーとして置かれていて,そのときのシステム管理者は畑慎也先輩でした。そうです。日本のグループウエアの歴史を変えたといってよいヒット製品「サイボウズ Office」の生みの親です。その話はまた今度。

「メールもパソコンがない職場」に就職

 大学の研究室で使うメールは,研究室内でのやり取りが中心でした。研究テーマの報告だったり,ソフトボール大会の練習日程の調整だったり。研究より遊びのほうが多かったですね。biffというメールチェッカーを使い,新着メールがきたら,研究そっちのけでメールを読み書きしていました。今だから言えますが,当時お付き合いしていた女性とはメールで頻繁にラブレターを交換してました。今思えばハイテク・カップルです。

 その後,松下電工に入社するわけですが,当時は平成の大不況。就職氷河期が始まったころです。私はライバルの多い団塊ジュニア世代です。うまく就職できたものの,研究職への希望は叶わず,とある事業部の営業企画部という,営業をサポートする技術スタッフへの配属となりました。

 そこで私が見たのは,メールのない世界でした。いや,メールどころか,LANもない。LANどころかパソコンもない。中学のころからパソコンと暮らすのが当たり前の私にとっては,衝撃的な職場でした。なにしろ会社というところは,全員がコンピュータを使うのが当たり前だと思っていましたから。そこにあったのは「ワープロ専用機」でした。諸先輩方は,ワープロ専用機を使って報告書を書いて,印刷して,フロッピーディスクに保存していました。

「青野君,君もこれを使って報告書を書きなさい」
「‥‥‥」

 私が初めて会社に絶望した瞬間でした。

 しかし,めげてばかりもいられません。そこから奮闘が始まります。それが今の国内グループウエアに大きな影響を与える活動に広がるとは,夢にも思わなかったころの話です。

 グループウエアの創世記前,その後の展開は次回をお楽しみに。

Watcherから新人へ送るメッセージ