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 先日,息子が通う幼稚園のクリスマス会を見て楽しむ機会がありました。それはクリスマスを祝うために,園児たちがダンスや音楽劇などを練習して披露する会です。

  楽しむ...と書きましたが,その裏では,父親の苦労と努力の裏付けが欠かせません。クリスマス会にせよ運動会にせよ,現代日本の父親にとって「わが子をビデオに収める」責任が「無言で求められる」一大イベントなのです。

 その幼稚園では,ビデオや写真を撮影する親のために,講堂2階が専用席として用意されています。そこには,ビデオを片手に必死の面持ちをした父親たちが集結します。ちょうど今回は,幼稚園御用達の撮影班の横,必死なお父様方の後ろで,生の舞台と数多くの液晶画面を見比べるという珍しい経験をいたしました。

 その液晶画面の数々を見比べながら気付きました。そこに,ブログ時代のわがままな生活者の視点が見え隠れしたのです。そこには,ビデオメーカー・カメラメーカーならずとも,すべての商品・サービス提供業者の経営者とマーケターが注目すべき「生活者のこころ」が投影されていたのです。

寒空の下,早朝から大行列をする理由は?

 ラーメン屋さんでもケーキ屋さんでも大行列ができる昨今,行列はお店の人気のバロメーターです。しかし,クリスマス会であれ運動会であれ,幼稚園の行事の席取りや場所取りに早朝から大行列ができることをご存知でしょうか。

 いくらわが子が出演するとはいえ,幼稚園児たちのシロウト芝居と競技会です。最初は驚きましたが,今ではその気持ちが痛いほどわかります。そして,いくつかの理由も思い当たるのです。

◎理由1.理由なき家族の情

 理由なき,といきなり書いてしまいましたが,こればかりは言葉にするのが難しいのです。どんなにたくさん子供がいようと,たとえ脇役をつとめていようと,パソコンの使い過ぎで視界がおぼろげだろうと....自分の子供が出てくると「すぐにわかる」のです。まさに,パターン認識の極みです。視覚を超えたコミュニケーションのすごさ,言い換えれば「人間の底力」を感じます。

 そして,言葉にできない感覚が,味わったことのない熱情が,体の奥底からわきあがってくるのです。世にお金で買える感動も数多いことは十分に承知していますが,それとこれとはまったく別なのです。しかも,同じ時に同じ場で味わう感情がそれぞれ極めて個人的であり,隣の人と「感動の対象=わが子」が違うところに注目です。

◎理由2.巧拙と感動とが一致しない世界

 もし,ちょっと目や耳が肥えた人が,ミュージカルや寄席にでも行こうものなら,たちまち批判精神を発揮して「さすが○○は輝いている」「最近の□□は力が落ちた」とつぶやきたくなるでしょう。たしかに私も感性が鈍った分,余計に頭が働きがちで,そんな感想を漏らしていることがあります。もちろん,こうした厳しい観客があってこそ,初めて達人の芸が磨かれていくのでしょう。しかし,ついつい,感動の理由が芸の上手下手に帰してしまいがちなのです。

 しかし,幼稚園児のクリスマス会を見ている時に,そんな大人びた批評眼を発揮している人はいないでしょう。誰もが,笑みを浮かべながら「やさしい目」をしています。うまいかへたかなど関係ない世界に浸ってしまうのです。

◎理由3.かわいいに勝る美徳なし

 「やさしい目」は,わが子だけに向けられるのではありません。最初は自分の子供の演技だけを見に来ていた親たちも,いつしか,顔も名前も知らない子供たちの演技にも魅せられていきます。そして,同時に笑い,同時に歓声を上げ,同時に拍手をするのです。

 それは,ただただ「かわいい」からでしょう。小さいから,たどたどしいから,無邪気だから,一所懸命だから,失敗するから...と「かわいい」理由を考えて並べられるのは時間が経った今だからこそ。園児たちの演技を見ている時には,分析が大好きな左の脳のスイッチは切れてしまっているのです。

◎理由4.たくらみのないリアルさこそ響く

 エンターテインメントが立派な産業となり,様々な技法が開発された今,テレビを見ても映画を見ても「感動させよう」というたくらみにあふれています。もちろん,誰もが気軽に泣いたり笑ったりできる環境があることは,悪いことではなくありがたいことです。私も素直にその恩恵を受けて,喜怒哀楽の情がさび付かないようにしています。

 しかし,動画投稿サイトYouTubeならずとも,テレビでさえ素人投稿ビデオで番組を作る時代です。技巧こそ未熟でも「たくらみのないノンフィクション」に「プロが色付けしたフィクション」が敵(かな)わない時もあるのです。たくらみたくてもたくらめない園児たちの素の姿には,私たちの思考フィルターをバイパスする信号が入っているのかもしれません。

◎理由5.無料で手作りの心づくしだから逆に感動

 もちろん,クリスマス会は無料イベントです。だからこそ大人の悪いクセ=「○○円にしては高いor安い」「○○円なら得したor損した」といった「感動を金額で換算する思考回路」が働きません。

 また,園児たちのかわいい衣装は,すべてお母さんたちの手作りです。何年か前の知らないお母さん方が作ってくれたものもあります。先生と園児のがんばりに,お母さんの手仕事まで加わった参加型イベントなのです。こうした舞台上では見えない苦労は,園児たちも家族もよく知っています。お母さんたちが,手作り衣装を着たわが子を見ればきっと格別の感慨がわくでしょう。

 ですからお父さんも足を運ばないわけには,何かしないわけにはいきません。朝から行列に並んでビデオを撮るぐらいは当り前のことなのです。

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 こうしてクリスマス会に家族が夢中になる理由をいくつか並べてみますと,その多くが「ブログが流行る理由」や「人気ブログの要件」とも重なっていることに気付くでしょう。

 ある少数の人だけの心に響く,きわめて私的で等身大の情報。技巧やシナリオよりも生々しさや偶然性が重要で,理性よりも感性に訴えかける手作りの情報。そんなすぐそばにある情報こそ見つめたいし,記録にもとどめておきたいのです。

 あらゆる情報が氾濫する中で,必ずしも「多くの人に受け入れられる完成度が高い情報」に心が動くわけではないのが面白いところです。

幼稚園公式ビデオはマスメディア~これだけでは不満

 実のところ,父親連合には「わざわざビデオを撮らなくてもよい」サービスも用意されています。

 需要があるところには,必ず供給があります。幼稚園が認定したビデオと写真の撮影業者が,ちゃんとプロの技術を使って一番良い場所で一番良い機材で撮影をしています。そして,後ほど美しく編集されたビデオ(DVD)を買い求めることもできるのです。

 おそらく,多くの家庭では幼稚園公式ビデオを購入することでしょう。

 それでも,お父さんたちは,寒空の下で早朝から行列してまで良い撮影場所を確保します。わざわざ三脚を構えたり,手を震わせながらも,望遠ビデオを撮るのです。

 その理由は簡単です。「公式ビデオは必要ですが,それだけでは満足できない」からなのです。

 幼稚園公式ビデオは,新聞やテレビのようなマスメディアと役割が似ています。特定の園児(取材対象)に偏ることなく,過剰な思い入れを廃して記録します。そして,あくまでも客観的に,全体像やストーリーを重視して伝えるのです。

 たまたま,私は,今年は公式ビデオ撮影班のすぐ近くに座りました。そこで,望遠ビデオカメラのアングルを見ていましたが,ほとんど舞台全体を撮るだけでした。他にも1階では手持ちのクローズアップ用カメラで撮影され編集されるのですが,おそらく,なるべく多くの子供たちが映るように気配りすることでしょう。

 つまり公式ビデオの出来ばえは「多くの人がクリスマス会の全体像がつかめて楽しめる」ものになります。そして,時折映る「わが子」や「お友だち」に一喜一憂しながら見ることになるでしょう。

 ただ,そのビデオがどんなに作品として完成度が高くとも,「うちの子だけを中心に見たい親」には欲求不満が残ります。そして「当日,自分の子供しか見ていなかった親」には,わが楽しい記憶とギャップを感じるビデオになってしまうのです。

 この欲求不満を解消し,認識ギャップを埋めるためには,自分で積極的にビデオを撮るしかありません。

 公式ビデオを買う人がいることは,今の世の中の流れを「手っ取り早く」「大体知る」ために,新聞やテレビを見る人が多いことに似ています。

 そして各人がホームビデオに走ることは「もっと見たいもの」を「より深く知りたい」という欲求や,「長く記録にとどめて分かち合いたい」という欲求に通じます。自ら「ネットで検索=取材する」行動や,自ら撮影した画像や書いた文章を「ブログに書いて記録する」行動に,ひそかに似ていると思うのです。

目の前のビデオパパたちが撮った映像の面白さ 

 当日,ビデオ撮影席の後列に座っていた私は,はからずも,生の舞台と合わせて複数のビデオカメラの液晶画面を目にしました。そして驚き,納得しました。私の目の前に座っていたビデオパパたちのカメラには,同じ舞台を見ながら,まったく違う画面が表示されていたのです。

 もちろん,どのビデオパパも「うちの子」しか撮影していません。ですからビデオ画像を見れば,どのお子さんの父親かもすぐに分かってしまうのです。

 一番心に残ったのは,ある劇で主役級の役をつとめた園児のお父さんが懸命に撮った画像です。常にお子さんがクローズアップされて,液晶画面の中心に大きく映っています。右に行けば右に動き,左に行けば左に追いかけます。

 しかし,いくら主役級とはいえども,舞台は主役だけでは成り立ちません。セリフを言っている他の配役まで映さなければ,ストーリーは伝わらないでしょう。それに,主役が右側にいるときに,左側で重要なやりとりが繰り広げられていることもあります。

 しかし,そのビデオパパの画像に限っては,何の迷いもなくわが子をビデオの中心にとらえ続けています。

 おそらく,この愛すべきビデオパパが撮影したテープを後で再生しても,劇自体を楽しむことは難しいでしょう。しかし,結局は「このビデオ」以上に家族の満足度を高める作品はありません。いざとなったら,劇の全体像は公式ビデオで見れば良いのです。

 こうした超プライベートビデオを自作していたビデオパパは,その方だけではありません。おそらく2階席でビデオを回していた父親のほとんどが,わが子だけを追いつづけていたはずです。

 この「見たいものだけ見たい」「残したいものだけを残したい」という「わがままな願い」を,暗いところでも超望遠で撮れる昨今のビデオカメラが叶(かな)えたのです。

見たいものをネット検索,残したいものをブログ発信

 こうした「わがままな願い」は,そのままインターネットにも投影されることでしょう

 ある種の人にだけ意味のある「見たいもの」を探すのに,インターネットほど便利なものはありません。Googleなどでキーワード検索をすれば,よくぞここまでマニアックなテーマを深掘りしてくれたと感銘を受けるサイトにすぐ出会います。

 こうした情報蓄積は,ブログをはじめポッドキャスティングやYouTubeといった「誰もが簡単に情報発信ができるツール」の普及で加速度的に進むはずです。「残したい」気持ちに「1人でもいいから同志に伝えたい」という気持ちが加われば,情報蓄積に拍車がかかります。

 デジカメ・ビデオのみならず,ケータイのシャッターを押して記録される画像は増え続け,その多くがネットに保管され,また何割かは公開されることになるでしょう。なにしろ,デジカメに撮りためた写真を,ちょっとしたパソコンの操作で楽しいスライドショーや美しいホームページに仕立てることができるのです。

 こうして情報が蓄積されればされるほど,たとえ同じテーマを扱っていても,生活者がみたいWebサイトは「クリスマス会のビデオパパ視線」のようにバラバラになるでしょう。公式ビデオのようなマスメディア情報に対するニーズはなくならないにしても,自分だけの情報を積極的に探す行為や,自ら発信する行動は,もはや誰にも止められません。

 そんな時,これまでとは違い,「高名で商売っ気のある人」よりも,「身近で親しみのわく人が発信する」リアルな情報が重んじられるようになると感じます。「遠くにいて会えないセレブより」も,「近くで会えて愛嬌のよい人」との結び付きが強化されるのです。

 加えて,ブログで「現場情報を発信した人」や,「現場を知る達人のブログを読む人」が増えれば,個人の情報感度が変わります。これまでのように受身で「マスメディア情報だけを頼りにする人」が減り,「現場の達人」や「実際に体験した人」など様々な関係者の「地に足付いた見識」を知ろうとする人が増えるでしょう。

 何といっても,自分だけの「かわいい」楽しみに時間と労力を費やす人たちが増えそうです。マスメディア関係者も企業のマーケターも,一個人になって家族ビデオやブログに興じれば,その得がたい魅力に驚くでしょう。このパーソナルな楽しみを無視して,これまで通りの情報発信を続けていると,いつしか「メディアの王様」たちも蚊帳の外に置かれてしまうかもしれません。