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モノ・サピエンス

物質化・単一化していく人類
岡本裕一朗

いやあ、哲学のやおい本とでもいおうか。

やおいではあるが、トンデモではない。いや、この本の主張は、ある意味現実こそがトンデモなのだという指摘でもある。

本書「モノ・サピエンス」は、現代という時代があらゆるものをモノ化していくことを指摘した本である。ここでいう「モノ化」というのは、売買不可能だったものを売買可能にし、交換不可能だったものを交換可能にし、そして使い捨てできなかったものを使い捨てられるようにすることを指す。


目次
  • プロローグ ヒトの「使い捨て」時代がはじまった
  • 第1章 モノ化するブランド
    • (1)「超消費社会」における自由
    • (2)あらゆるモノが使い捨てられる社会
  • 第2章 モノ化するカラダ
  • 第3章 モノ化する労働
  • 第4章 モノ化する命
    • (1)「遺伝子改変」社会
    • (2)資源となった人体
  • 第5章 モノ化する遺伝子
    • (1)コードとしての家族
    • (2)能力主義は平等か
  • 第6章 モノ化する思考
    • (1)「カラスの勝手」主義
    • (2)「人生いろいろ」主義
  • 第7章 モノ化する社会
    • (1)規律社会から管理社会へ
    • (2)見世物化するメディア
  • エピローグ 「人間の尊厳」の終焉と新しい時代のはじまり
  • あとがき

目次を見て分かる通り、著者の筆致は惨く冷たい。まるであたかも著者自身が、万物をモノ化していくように。その冷酷さは、戦場よりもガス室のようであり、冷酷を通り越して滑稽にすら見える。そこにはヤマもオチもないが、なぜかそこから目が離せない。

もちろんこれは著者がわざとやっているのである。

あとがき
オプラートで包んだ表現や幻想をふりまくより、現実に進んでい「モノ化」と「使い捨て」を明らかにしなければなりません。私がドギツイ表現で淡々と書いていったのも、この現実にせまっていきたかったからです。はたしてこの方法がどこまで成功したかは、読者の判断にゆだねるほかありません。

一読者として判断すると、この方法はかなりの成功を収めたと言わざるを得ない。本書の各章の指摘に実はそれほど目新しいものがあるわけではない。が、ここまできれいにまとまり、そしてここまで容赦がない本はなかったと思う。この「モノ化された残酷」を味わうためだけにも、本書は価値がある。

しかし、というよりやはり、本書には「モノ化」の善悪は書いていないし、「モノ化」の行き着く果てになにがあるかは書いていない。要するに「意味なし」で、これで「やおい」が揃ったことになる。

あとがき
しかし、「モノ・サピエンス」には暗い未来しかない、とはいえません。欲望の加速化によって、新時代を拓いていくかもしれないのです。

もっとも、「暗い未来」とか「新時代を拓く」とかといった表現が、まだ「モノ化」が不徹底なのかも知れない。これは「モノ化されざる何か」はあるのだという著者の抵抗が行間ににじみ出たのかも知れない。

そこにこそ、「拓かれるべき新世界がどうあるべきか」というヒントがあるように思われる。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - グーグルが従業員を子供扱いするために発生する雇用、あるいは、There's more than one way to live your life.
有能な経営者とは、ラリー・ウォールのような本物のハッカーだ。本物のハッカーは、ある側面で、世界の複雑さを圧縮し単純化し、その価値によって専制を敷く。しかし、その結果、世界は多様で豊かになる。ただし、その豊かさを見抜くには、従来の物差しを捨てなくてはならない。

TMTOWTDIというのは、その答えの中では最有力候補だと思う。しかしその豊かさに至るには、従来の「モノ差し」を使い尽くさなければならないというのも、著者である岡本氏の主張であり、そして私もそれに対する反論の言葉を持たない。

p.196
ネオリベラルな世界では、「自由」かどうかは「お金」のあるなしに左右されることがわかります。「お金」をたくさんもっている「富裕層」や「セレブ」たち「自由」を謳歌できますが、「お金」のない人々にとって、「自由」は絵に描いたモチでしかありません。こうした「おカネ」に価値が一元化された世界では、「お金」がなくなったとき、ヒトは「自由」を失ってしまうのです。

思えば私が「オープンソース・プログラマー」という自由を謳歌できるのも、お金があるからだ。「オープンソースが金持ちの道楽」と言われてしまえば、私には返す言葉がない。

とはいうものの、「お金持ち」という言葉もまた、心のもちようでもある。

#0 Perlの父 Larry Wall|gihyo.jp
ラ:《(私は)金持ちです》。どれだけ持っているかではなく,どれだけ与えることができるかというのが金持ちの定義なら。

私はインタビュアーだったので、原文をはっきりと覚えている。それを披露して本entryを締めくくることにする。

Yes, I am rich. Not in terms of how much I have, but how much I can give.

Dan the Well-Off


編集部より:今回の記事は,小飼弾氏のブログ404 Blog Not Foundより編集し転載させていただきました。本連載に関するコメントおよびトラックバックは、404 Blog Not Foundでも受け付けております。