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 米国では戦後帰還した軍人が,そのまま民間の職にはつけなかった。そこで,彼らはMBAを取得して民間企業へ職務転換し,トップダウンの経営者となった。一方,日本には軍人(将校)はいない。生き残りは戦犯。優秀な将校に比べて凡庸な民間人が仲間で起業組織化するしかなかった,と言われています。

 確かに米国はそうだと思いますが,日本の将校は本当に優秀だったのでしょうか?日本陸軍は白兵戦には強かったが,将校たちは間違った作戦を堂々と立てていました。一神教の個人主義が徹底され,すべからくトップダウン型であるアングロサクソンとは,最初から文化・風土が違っているように見えます。

 リーダーシップを発揮して業績を上げた管理職の中から経営職が選抜されていくのは,至極当然と思っていました。経営職にも人間性や人徳があるべきと思っていました。現場に降りて従業員に声をかける経営者は偉いと思っていました。しかし,経営職のミッションは全く違います。外から経営能力が高いが人望がない優れた経営者が来たら,強い現場とうまくやっていけるのでしょうか?強い現場と強い経営がシナジー効果を起こすには企業文化・風土の変革が必要です。ですから元IBMのルイス・ガースナーは,「史上最大のBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング),企業文化の大変更!」と言ったのでしょう。

 IQはIntelligence Quotient(知能指数)です。EQはEmotional Quotient(情動指数)です。ところで,それを合成したEmotional Intelligenceって,日本語ではどう言えばよいでしょう?

 ある外資系企業のトップが,良きリーダーに必要なのは「Passion Driver,Dream Deriver,Emotional Intelligence」とおっしゃっているそうです。その会社では「Emotional Intelligence」を「配慮ある知性」と訳しているそうです。直訳すると「感情的知性」です。「配慮ある」と「感情的」とは全く逆のイメージです。

 人間はIntelligenceを最大の武器として生きている動物です。生物はその生物が持つ最大の武器で死に絶えると言われています。恐竜は巨大性が武器でしたが,その巨大性故,ユカタン半島に隕石が落ちたことで発生した(?)大規模な地球環境変化に対応できなかった。ですから,滅びたくなければ,抑制的に知性を使えということになるのでしょうか。だとすれば,「配慮ある知性」は優れた日本語訳のように感じます。

 管理職に必要なのはリーダーシップですから,「配慮ある知性」がリーダーに必要と言われると,なるほどと納得します。ただ,私は単純な人間ですから「配慮ある知性」のような複雑な精神コントロールはできません。感情的知性の方がシックリ来ます。単に論理的で冷徹なイメージの知性ではなく,もっと「アナログ的で情動的で意図的でダイナミカルな人間力の知性」ならすごく理解できます。経営職に求められるイノベーションやクリエーティビティは,「配慮ある知性」とはかけ離れています。頭の中がオーバヒートするくらい24時間考え続けて,やっと発想できることですから。まさに「Emotional Intelligence」です。

 日本の名経営者は松下幸之助や本田宗一郎や井深大…,どうも米国とは違うようです。ですが,創業者ですから管理職の経験はありません。大手企業の経営者の多くは,上から目をかけられて人望人徳で昇進しトップになりました。大銀行頭取は完璧な八方美人でなければ途中でふるい落とされます。彼らに経営能力を期待するのは難しい。ですから,優秀なコンサルタントが経営指南でついています。

 米国のMBAホルダーのほとんどは起業します。また,「エクゼクティブ・サーチング」のような経営職専門の流通市場があります。確かに経営にはテクノロジーの部分がありますから。その一方で,優秀なコンサルタントが優秀な企業経営者になるとは限らないとも言われます。論理的思考やIQだけで,森羅万象が割り切れると錯覚しているMBA出身者もいます。

 日本のプロジェクトXのような,強く優秀な自主自立的現場組織は,間違いなく企業の財産です。今後の商品サービスの差別化には個々がテーマを持って必死で自己実現をしていく有機的組織体がとても効果的です。それを米国型に変える必要は毛頭ありません。そんな強い現場には,人望のあるトップが向いていると言えます。環境変化がなければ,それが最高の組織でしょう。ただし,変化の時代は戦略が決め手になります。「強い経営 vs 強い現場」との融合が理想でしょうか?

 ルイス・ガースナーのような優秀な経営専門家は,離れた因果関係を統合的に考えることができます。企業文化も経営の重要な要素と理解し,取り込んでいくのでしょう。カルロス・ゴーン氏も,日産の強い現場を経営にうまく取り込むことが今後の課題かもしれません。高度3万メートルからの視点だけでは,現場はほとんど見えません。

 日本の秀才型の経営者の中には,分断化された個々の知識や見識を持っているものの,それらを統合して洞察判断する能力に欠けた人がいます。どうしてそんな判断をしたのかを聞いても,理解できない理由を答えます。そんな判断ミスをいつもしていますが,表面的には雄弁ですから本人も周囲もわかりません。そんな経営者は早晩会社を左前にします。経営職の早期抜擢システムや経営専門家の流通を優先しなければなりません。米国経営トップへの報酬が日本とは桁違いなのも頷けます。

 現場を疲弊させ,自ら組織能力の低下を招いたにも関わらず,そんな変化も理解できないサラリ-マン経営者が少なくないのです。