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 日本経済新聞(6月9日付朝刊)を読んでいて,懐かしい言葉を見つけた。「顧客カード」である。

 記事の見出しは「顧客ニーズの確認,義務化」と題するもので,金融庁が投資信託,商品ファンドや変額年金保険,デリバティブ預金などの金融商品を販売する際に,顧客に確認して,記録を残すということを監督改正指針(案)に盛り込むというものだ。

 その記事には,次のような一文が書かれていた。「具体的な記録・保存の方法は,例えば『顧客カード』を作成することを銀行や証券会社に求めた。顧客ごとに『元本割れリスクが高いが,それでも購入したい』『収入は低めでもよいから,堅実に運用したい』といったニーズを記録。実際に売った商品と照合できるようにする。」

 筆者は少し驚いた。金融庁が銀行や証券会社に対して,販売業務の方法を具体的に示しているという事実と,その方法の説明に「顧客カードの作成」という筆者には古典的と思える表現を使った点だ。ここに金融サービスにおけるCRMの現状が透けて見える。

ニーズとウォンツを混同?

 マーケティングにこだわっている身としては「ニーズ」という言葉にも引っかかった。マーケティングの分野では,ニーズ(needs)というのは複数の顧客の希望や期待の集合体で,顕在化していない場合を指している。この記事で説明されている金融商品の販売状況からすると,「個々の顧客の個々のニーズ」をニーズと表現しているのだろうか。

 推測だが,この監督改正指針案で言う顧客カードは,個々の顧客それぞれに別個作成されるものなのだろう。そして顧客カードに記録される内容は例えば,「投資信託を購入してリスクは少しぐらいあるけれども,説明によれば,年利5%ぐらいになりそうだ,だから購入したい」といった顧客の話ではないだろうか。この種の記録は,顧客のニーズではなく顧客のウォンツ(wants)と言うべきではないか。

 記事に添えられている図表を見ると,金融機関は「アンケートや聞き取りによって」顧客ニーズを把握し,それを顧客カードに記録するとあった。

 アンケートは,マーケティングの分野では一般にはニーズが存在するかどうかの確認作業(調査)として実施するものだ。聞き取りには調査の場合もあるし,個別の面談(商談)の場合もある。例示としては曖昧な表現のように思えた。

成熟していない金融サービスのCRM

 記事には次のような説明も書かれていた。「(監督指針改正案では)顧客とのやりとりを記録・保存することも金融機関に求める。不備が見つかれば,業務改善命令など行政処分の対象とする。」

 なになに。顧客カードに,顧客とのやりとりの記録も作成(記入)するのか。郵便局会社がセールスフォース・ドットコムの利用を推し進める事情の一つが見えてきた。顧客の情報を蓄積した上で,投資信託などの金融商品を,郵便局の窓口で勧奨販売しようという深慮遠謀があるようだ。しかし,これまで「組織側の都合による業務」にすっかり馴れてきた人や組織が,「顧客中心型の業務」へと態度をそう簡単に変容できるものだろうか。

 銀行の窓口もそのような意味では,郵便局と同質である。銀行も郵便局と同じく,もっぱら組織側の都合で決めた業務を円滑にかつ効率的に実行することに熱中してきた。そこに,顧客中心で実行すべき金融商品の販売業務が持ち込まれた。当然,簡単には転換できなかったのは多くの人々が知る通りである。

 だからこそ三菱東京UFJ銀行は,投資信託の窓口販売の不適切さについて,金融庁から業務改善命令を出されるという事態を招いてしまった。しかし,これは何も三菱東京UFJ銀行だけの問題ではないのではないか。他行にもこのあたりの“弱さ”がうかがえるからこそ,金融庁は監督指針を改正しようとしているのだろう。日本の金融サービスのCRMがいかにお粗末かを示すエピソードである。

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