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 2007年は,あらゆる面で問題が多すぎた。しかも深刻な問題が。2008年はこれらを克服できないまでも,克服の足掛りとする年にしなければならない。本稿では2008年の「展望」ではなく「課題」を検討する。

 まず社会面での問題は,政治混沌,官僚不信,格差社会,悪質事件の多発,過疎化の進行で消滅の瀬戸際にある“限界集落”の増加など,枚挙に暇がない。企業については,食品・建設工事・人材派遣などの企業で偽装が発覚,トップが頭を下げる場面が日常茶飯事だ。しかも,その釈明でさえ倫理観に欠けるものが見られる始末だ。さらに,これらCSR問題のほかに,経営そのものが米国のサブプライム問題や原油高,新興国の厳しい追い上げなどでグローバルな試練にさらされている。

 一方,すべての根幹をなす「人」の教育面でも教育改革が迷走している。OECDのPISA(国際学習到達度調査)では,日本の学力低下が明らかになった。とはいえ,過去の詰め込み教育に針を戻したとしても,PISAで指摘された「応用力」や「読解力」の低下は止められないだろう。

ITは必ずしも問題解決に貢献しない

 こうした多くの深刻な問題に,ITが力を貸すようなことがあってはならない。むしろ,ITは問題解決に貢献しなければならない。しかし,実態はどうだろう。ここでは,まず企業の実態に焦点を合わせてみよう。

 最近話題の日本版SOX法は,企業におけるコンプライアンスやCSR(企業の社会的責任)の欠如などを防ぐためのものである。企業がこの日本版SOX法に効率よく対応するには,ITが不可欠である。また,経営がグローバル競争の試練に耐えるためにも,ITの活用は必須である。

 ところが,ITは必ずしも効果をもたらさない。例えば,CAD(コンピュータによる設計)は設計者の技術力を削ぐおそれがある。便利な反面,部品や材質の使い回しができるので,思考が画一的になる傾向がある。縮尺を容易に変更できるのでスケール感覚を失ったり,容易にシミュレーションでき過ぎる。これらの理由から,設計者の技術力が養われない,あるいは退化するおそれがある。

 ITが,仕事を偽装する場合もある。パソコンに向ってさえいれば,仕事をしていると見なされる。経営者から担当者まで,現場に行きもせずパソコンのデータを眺めるだけで,仕事をしたつもりになる。筆者の知る企業でも,勤務時間中に時々ゲームに没頭する役員が,現にいた。

 ITがコミュニケーションを皮相的にすることもある。座席が前後する上司と部下,隣り合わせの同僚が,メールで連絡し合う。パソコンやケータイは,言葉や文章を簡略化する。その結果,漢字力や文章の作成力・読解力を落とし,表現力や思考力,創造力をやがて低下させる。

 では,どうすればよいのか。今こそ,原点に立ち帰らなければならない。

人間を含む「自然という生命システムの維持」から見直そう

 そもそもITのI(Information)とは何か。情報のタネは,宇宙の彼方からやって来たとする仮説がある(松岡正剛「情報の歴史を読む」NTT出版)。そのタネからアミノ酸のような生命ができ,やがて哺乳類となった。その頂点の人間は,情報の塊である。体内のDNAという遺伝情報は,種を保存するために遺伝子の延命と外部情報の摂取に努める。

 一方,加藤秀俊(「情報行動」中公新書)によれば,情報とは「個体を環境にむすぶもの」である。「個体」を「人間」に置き換え,「環境」の基が「自然」であることを考えると,情報とは人間と自然を結ぶものである。これは松岡の言う外部情報に相当する。自然が人間を含む広大な生命体とすれば,「情報の必要性」は単なる「種」の保存から,「人間を含む自然という生命システムを如何によりよく維持するか」へと発展して考えられる。

 しかし,人間は「無花果の葉を綴(つづ)りて裳を作」って衣服を身にまとい,さらに道具や言葉を発明して人間独特の社会を作ったとき,人間社会は自然とは別社会であると誤解してしまった。それ以来,私たちは自然という大きな生命システムの中の情報を軽視し,小さな人間社会の閉じた情報を重んじ始めた。そこから,多くの面で情報とその利用の仕方に歪みが出た。人間社会の情報は,時代と共にますます歪曲され,人間を自然から分断し,人間性を喪失させ,倫理上の問題を惹起し,ひいては日本文化の退廃をもたらす可能性をはらむ。

 今こそ原点に立って,「人間を含む自然という生命システムを如何によりよく維持するか」という観点から,情報の活用を見直さなければならない。その心は,人間と自然の尊重である。今や日本は,国を挙げて「人間と自然の尊重」運動を進めなければならない。某新聞社が,出版業界と協力をして活字文化推進運動をここ5年間進めている。運動の進め方としては好例である。そのような運動が,国内に津波のように起こることを期待する。

 教育面でも,やれゆとり教育だ,やれ学力向上路線だと議論する以前に,小学校から高校まで福祉貢献や自然に親しむ実習教育を,長時間の必修科目として設定すべきだ。20歳前後になったら,1~2年間の福祉・自然貢献活動を徴兵制度のように義務付ける必要さえある。そうすれば,人間や自然を尊重する精神がおのずと備わるようになるだろう。

 2008年は,その準備のための第一歩を踏み出す年にすべきだ。