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フリーソフトウエアからオープンソースへ

 前回,「オープンソースというのは哲学がないのが哲学」とか言いながら,「哲学や思想がまったくないかと言えばそうではない」という一見矛盾したようなことを書きました。「哲学がないのが哲学」という話は既に前回書いていますから,今回はもう一方の「まったくないかと言えばそうではない」という話をしましょう。

 前回ちょっと触れたように,「フリーソフトウエア」から「オープンソース」になったのは,主に市場側からの要求でした。つまり,そういった「まとめ」方をしておいた方が,ハンドリングが楽な上に「フリー」というビジネスの対極にありそうな言葉を避けることができたわけです。

 例えば,それまでは「Gnuなもの」を使う時には,なんとなくGnu的な哲学に賛成してるようなそういった感じがありました。ライセンスそれ自体には「Gnu教を信じること」とは書かれていませんが,「GPLを順守する」という「カタチ」から入っていずれはGnu教の洗礼を受ける... 的な空気がなかったわけではありません。ですから,bitの古い号あたりにあった(アメリカの)ハッカーのインタビュー記事には「rms(Richard M.Stallman)が言うことを100%支持するわけじゃないけど,Gnu Emacs使ってる」的な話が出ていました。Gnuは特に宗教がかっていますが,BSDも別な方向で似たり寄ったりです。

 ただ,そういったものは,それを信奉する人達の支持は得られるのですが,使う側からすると「なんとなく末香臭い」と感じるものです。また,「フリー」というのはいわゆるリベラルな社会メッセージを含んだものでもありますから,共産主義っぽい空気が感じられないわけではありません。そのため,しばしば「フリーソフトウエアは共産主義的」というFUD(Fear, Uncertainty and Doubt,即ち不確かな根拠に基づく脅し)があったものです。まぁ「ハッカーズ」あたりを読むと,かなり左翼運動っぽいものを感じます。

 ところが,そういったある種クセのある人達の作った「フリーソフトウエア」を見ると,なかなか優秀なものが少なくありません。「オープンソース」という言葉が生まれたのは,ちょうどインターネットが研究ネットワークからコモディティなものになりつつある時期*1でもありました。ソフトウエアの内容と言いタイミングと言い,これらをビジネスに使わない手はありません。時はドットコムバブルの前夜,Linuxがそろそろ実用レベルのものになろうとしている時でもあります。

 ちょうどその頃,「フリーソフトウエアをもっと普及させるにはどうしたら良いか」ということを考えている一団がありました。後に「オープンソースの宣教師(エバンジェリスト)」と呼ばれる人達です。彼等はLinuxの浸透具合を見て,この勢いをもっと大きなものにし,さらに他のフリーソフトウエアを普及させようと考えていました。そして,フリーソフトウエアを「Fourtune500」に挙げられるような企業にも売り込める方法について考えていました。彼等は「普及する」ということがこの世界の人達を幸せにするために必要なことだと考えていたわけです。

 ところが,「フリーソフトウエア」という「言葉」には,共産主義っぽい臭いがただよっています。彼等はどうもこの「言葉」がビジネス界に普及させる際の障害になると考えました。「フリー」に共産主義的なものがあるかどうか,実際にそれを感じるかどうかは別にしても,「フリーソフトウエア」というものに強烈なメッセージ性があることは確かですし,そのメッセージは受け入れる人を強く選択します。また,「フリー」には「ただ」という意味もあり,これもなんとなくハッカー界の外側の人達を不安にさせるものでした。

 そこで,そういった「強烈なメッセージ性」や「ただ」というニュアンスを極力見えなくしたのが「オープンソース」なわけです。ですから,前回でも述べたように,「哲学がないのが哲学」ということになったわけです。

 ここで歴史背景を含めながらフリーソフトウエアからオープンソースになった経緯を書いたのは,この中に「哲学がないという哲学」の基があるからです。

*1 オープンソースという言葉は1998年2月3日に生まれているようです。
The Revenge of the Hackers(ハッカーの復讐)
http://cruel.org/freeware/revenge_of/index.html