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 見よう見まねで新しい仕事に取り組んできたが、あっという間で年末になってしまった。新しい仕事とは、管理職である。今年の1月1日付で日経コンピュータ編集長に就き、慣れない仕事に忙殺されているうちに、気が付けばもう12月である。筆者に管理職が務まるかどうか、就任当時、かなりの人から疑問視されていた。なんとか1年間、やり通せてほっとしている。

 慣れない管理職の仕事を一言でまとめると、情報のやり取りであった。編集部員全員になんらかの情報(指示)を伝える。編集部員全員からなんらかの情報(各種報告、勤務状況、出張申請など)を集める。こう書くと1、2行で済むが、やってみると実に大変である。しかも、編集部の外と編集長の間のやり取りがまた大量にある。1年こうしたことと格闘したので、筆者は今、世の中におられるすべての管理職に敬意を払っている。

雑誌作りの方針決め、記者の育成に勤しむ

 さらに、編集長であるから、雑誌作りの方針を決めないといけないのだが、これが難しい。おかげさまで日経コンピュータは2011年に創刊30周年を迎える。これだけ歴史があると編集方針を大胆に変えるわけにはなかなかいかない。

 周りの人は「編集長になったのに、あなたの色が出ていないね」、「もっと大胆にやっては」などと言ってくる。それでは、ということで、従来の日経コンピュータには載らなかった企画をやってみると、「分かりにくい」、「日経コンピュータでやるべきネタではない」と言われてしまう。

 面白い話と役に立つ話のバランスをとることも必要で、これもまた難しい。コンピュータの世界はまだまだ日進月歩で、新しいことが起きている。最先端の面白い話をどんどん載せたいと思うが、意外にそういう記事は読まれなかったりする。読者の方々は、情報システムにかかわる仕事に責任を負っているから、「日々の仕事に役立つ記事をきちんと載せてもらいたい」というのである。

 「書ける記者」を育成することも編集長の責任だ。もちろん、日経コンピュータ編集部の記者諸兄はしっかり仕事をしてくれている。とはいえ、記者の仕事はそれなりに奥深いもので、企画を立て、その企画に必要な情報を探し出し、集めた情報を整理し、分かりやすい文を書く、という一連の行為がすべて満点という人はいない。取材力はあるが、まとめ方が今ひとつだったり、企画は抜群だが、肝心のネタを集める根性がちょっと足りない、といったように、伸ばすべき点は記者それぞれにある。

 楽観的な性格であるため、以上の仕事と格闘しつつも、どうにかこうにか1年間、日経コンピュータを出し続けることができた。年の前半は、朝8時に出社して夜12時まで編集部にこもり、終電に乗って帰る、という充実した日々を送ったため、かなり痩せてしまったが、後半は要領がつかめたので(つかめたような気がするので)、常識的な時間に帰宅できるようになった。