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 先日、知り合いから「10万年の世界経済史」(グレゴリー・クラーク著、久保恵美子訳)という書籍を薦められた。同書にある産業革命後の紡績工場に関する考察が、今のクラウドコンピューティングを巡る状況を彷彿とさせるのだという。その内容を少し紹介したい。

同じ機械を使っていても生産性に差

 筆者はこれまでずっと、「ガンジー」の伝記などの影響もあり、産業革命以後の綿織物産業について、以下のように考えていた。機械化された英国の紡績工場が生み出す綿織物は圧倒的に安価だった。それが、手工業が中心だったインドの綿織物産業を壊滅に追い込んだ──と。

 「10万年の世界経済史」によれば、歴史はそう単純では無かったのだという。実は19世紀後半には、インドの綿織物産業も機械化されていた。当時でも工業機械の輸出は今日のように行われていたそうだ。紡績機などはそう高価でもなかったため、綿織物生産の機械化は英国に限らず世界中で可能だった。

 そして19世紀末の時点でも「機械が導入されれば熟練労働者は不要になる」という認識が一般的だった。つまり「少なくとも1850年代以降は、労働コストの面で圧倒的に有利な貧しい国々が綿織物業界を席巻し、自由市場から英国を駆逐してもおかしくなかった」(「10万年の世界経済史」下巻224ページ)のだ。

 ところが実際には、1930年代に至るまで英国の綿織物産業の生産性は他国を上回り続けた。他国の綿織物産業も同じように機械化されていたにもかかわらず、である。その理由をクラーク氏は、2枚の写真を提示しながら説明する。

 1枚は、1939年の米国におけるリング紡績工場の写真。そこには大量の紡績機が並んでいるが、作業をしている工員は1人だけだ。もう1枚は、1920年代のインドにおけるリング紡績の工員と監督者の写真。同じような紡績機が並んでいるが、写り込んでいる人の数は多い。つまり「賃金水準の高い英国が世界市場をリードできたのは、他国の工場の効率性が、英国の水準にはけっして及ばなかったからである」(「10万年の世界経済史」下巻228ページ)。

 これと同じことがクラウドにも起きるのではないか。「10万年の世界経済史」を筆者に勧めてくれた知人は、こう危惧する。

巨大センターを作るだけでは19世紀のインドの二の舞

 日本では現在、大規模なデータセンターを求める機運が高まっている。米Googleや米Microsoftといった大手クラウド事業者がサーバー台数が数万~数十万台にも及ぶ大規模なデータセンターを運営しているという話題は、筆者も何度か取り上げた。

 データセンターには規模の経済効果が働くので、クラウドサービスのコスト削減に一役買っている。日本にもこのようなデータセンターを作らないと、クラウド時代に取り残されてしまういう議論だ。

 実は、巨大データセンターは紡績機と同じで、飛び抜けて高価というわけではない。Microsoftがシカゴに建造した“メガデータセンター”(消費電力量は最大60Mワットで数十万台のサーバーを運用できる)の投資額は500億円程度だと伝えられている。それに対して、神戸で建造中の次世代スーパーコンピュータの総事業費は1120億円、日本のヤフーが2009年2月にソフトバンクIDC(現:IDCフロンティア)をソフトバンクから引き取ったときの買収額が450億円である。「巨大データセンターを日本に作る」こと自体は、夢ではないだろう。

 しかし、作っただけでは19世紀のインドと同じことになりかねない。例えばMicrosoftのデータセンターでは「1人のシステム管理者が5000台のサーバーを管理する」(関連記事)という。米Yahoo!は2010年2月、米国ネブラスカ州に床面積18万平方フィート(1万6000平方メートル)、サーバー台数が最大10万台のデータセンターを開設した。そこで働く従業員数は50人だ(米Data Center Knowledgeの関連記事)。

 Googleは2009年5月に出版した書籍「The Datacenter as a Computer」で、クラウドのデータセンターではハードウエアのメンテナンスは「バッチ処理のように行う」と表現する。Googleのデータセンターでは、サーバーが壊れてもすぐには修理しない。壊れたサーバーが担当していた処理は、自動的に他のサーバーが引き継ぐからだ。

 ハードウエアのメンテナンスは、定期的なタイミングで実施する。そのときにだけ、壊れたサーバーを修理/交換する。こうすることで、データセンターの保守スタッフ要員を減らしている。

 日本に巨大データセンターができたり、大規模なクラウドサービスの提供を目指す事業者が現れたりしたとしても、効率性が上記のようなクラウド事業者の水準に達さなければ、最終的には淘汰されてしまうだろう。