PR

 審査員は大変---取材先で審査員を見て、いつもそう思っていた。

 例えば「全国高等専門学校プログラミングコンテスト」という高専生向けのプログラミングコンテストである。「自由部門」では、その名の通り、自由な発想のもと作られたプログラムを、審査員が審査する。取材で展示を順番に見ていくと、明らかによくできたものもあれば、残念ながらそうでないものもある。大変なのはその先だ。筆者が「よい」と感じるものはどれも、何かしらの問題を技術力で解決している。それらの中で優劣をつけるのは難しい。

 筆者もその大変さに直面した。ITproは、Androidアプリケーションの開発コンテスト「Android Application Award 2010 Spring」を主催している。おかげさまで300を超えるご応募をいただき、2010年5月13日にその締め切りを迎えた。そのあと、ご応募いただいたすべてのアプリケーションを、8人の審査員と、日経BPの社員で審査した。

 筆者の主な仕事は、審査のスキーム作りと、その運用であった。ここでは、どのように審査したのかを紹介しつつ、Androidアプリケーションについて気づいたことをまとめたい。

見落としたくない

 本アワードの審査員は、日本Androidの会 会長の丸山不二夫氏をはじめとする8人。素晴らしい審査員に審査をお願いすることができたが、ご応募いただいた作品すべてを試してもらうのは現実的ではない。この会社には幸い、Androidを常用していたり、記事として取り上げたりしたことがある記者や編集者がたくさんいた。その記者や編集者に会議室に集まってもらい、本アワードの評価機であるXperiaにインストールした応募作品を見てもらった。

 基本的な考え方は、「雑誌のフリーソフト特集」である。フリーソフトを取り上げる特集では、著者や担当編集者、さらにはその協力者が、Vectorや窓の杜などのWebサイトでフリーソフトをダウンロードしてはインストールして試す。とにかくたくさん試す。そのうえで、候補となりそうなフリーソフトを絞り込んでいく。本アワードでも、集まってもらった記者、編集者には、本アワードの位置づけやゴールを伝えたうえで、応募された作品を評価するようにお願いした。

 ここで筆者が気にしていたのが見落としである。人間は一定の確率でミスをする。もし面白い作品が応募されていて、たまたま1人の評価が低かった結果、2度と注目されないのは、開発者と我々の双方で大変な不幸である。そこで1つのエントリー作品は、必ず2人以上が起動、動作を確認するようにした。それでも不安だった筆者は、2人、あるいは3人が低い評価をつけた作品だけは、その評価が妥当かを自ら確認した。

 応募作品すべてを評価するには、3日かかった。残念ながらインストールできないものや、起動してすぐハングアップしてしまうものもあった。一方で、すぐに面白さが伝わるアプリもあった。歓声が上がり、横の人に「こういうことができる」と楽しそうに紹介していた。感想の輪が笑顔とともに広がっていく。

愛しさと切なさと胸の苦しさと

 審査に携わる人間は熱くなっていった。各自が、「私はこの作品を高く評価したい」という気持ちが芽生え、ファンになっていくのだ。応募された作品の良さをよく知り、愛してくれるのは、とてもうれしい。一方、プログラムを作ることを少しだけ知っている筆者は、選に漏れた作品群を見るたびに、切ない気持ちを感じ、胸が苦しくなる。

 審査の中盤からは、合議制をとった。ある作品のファンになった記者は、その作品の良さを会議の場で推す。それに反対意見が飛ぶ。「それをそう評価するならこっちも」…議論は複雑になる。「この作品の良さが分からないのは日経BPの記者としてどうかしている」なんて過激な発言も飛び出した。会議は明らかにヒートアップしている。

 誰のためのコンテストであるのか、開発者はこのアプリで何を社会に伝えたいのか---。筆者は、ときに大きな声も使いながら、根本に戻って合意形成できるように努めた。上司や回りの助けもあって、長い長い会議が終わり、審査員に実際に試してもらう最終ノミネート作品が決まった。最後は、「ほんとにいいね?」と大きな声でため口であった。目上の人もいるのに(ごめんなさい)。

 こうして決まった最終ノミネート作品群をXperiaにインストールして、審査員の方々に手渡しする。審査会まで最終ノミネート作品を試してもらうのがその目的だ。そして2010年6月某日、弊社会議室で審査員による審査会を催した。事前に審査員からいただいた「推したいアプリ」などのメモの結果は割れていた。

 ここから先は筆者はノータッチである。部屋の端から、議論の過程を見守る。コーヒーと軽食、たくさんの議論で、数時間の時を費やして、ようやく受賞作品が決まった。決まったとき、仕事を終えた安堵感のすぐ後に筆者の心を襲ったのは、審査中ずっと感じてきた辛さだった。トイレで一人、たくさんの作品のことと、それを作った開発者を思う数分を過ごした。涙は流していない。