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 広義のソフトウエアを並べてみると、どれをとっても、それを描いたり、それに沿って行動したり、世界に発信して仲間を巻き込んだりすることを、日本や日本企業、日本人は苦手にしていると言わざるを得ない。前述の通り、コンピュータプログラムはなんとか作れるとしても、それを含んだシステム、あるいはプロジェクトのマネジメントとなると、上記の苦手一覧に入ってしまうだろう。

 列挙した広義のソフトウエアは、すべて目に見えない。にも関わらず、何らかの全体像を表している。米国や欧州の企業はこうした全体像を重視し、人を投入し、自分で作り、育てている。実際の製品や要素技術についてなら日本勢は負けていないどころか優っている点が多いが、全体像を描くことについては弱い。

 「弱いなどと何を根拠に決め付けているのか」と思われた読者もいるかもしれないが、事業や製品のコンセプトやビジョンが大事で、そのためにはデザイン思考が欠かせない、といった指摘はしばしばなされている。

 昨年末、筆者名義で初めて書籍を出すことになり、題名を『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』にした。前出の記事を本の中に収録したし、Webで読まれた題名なので柳の下にいるはずの泥鰌を狙ったところもあるが、書籍の主題は広義のソフトウエアを巡るものであった。

 拙著を読んでくれた、ある経営者から知り合いを通じて「ぜひお会いしたい」という有り難い連絡がありお目にかかったところ、「題名にソフトとありますが、むしろ『コンセプトを他人に作らせる日本』ではないですか。国も企業も個人も自分のコンセプトを作れず、他人任せにしています」と感想を述べられた。

 コンセプトをはじめとする広義のソフトウエアを取り入れようとしても、なかなかうまくいかない。片仮名を有り難がって振り回し、現場から浮き上がってしまう人が出る一方で、そうした動きに反発し「そんなものがなくても日本の現場は強い」とつぶやく人が出る。

 筆者自身はどうなのか。こういう原稿を書いていることから、前者の人と同じだと思われるかもしれないが、そのつもりはない。後者とも違うと言いたいが、気持ちとしては後者に近いかもしれない。広義のソフトウエアが重要だと頭では分かるものの、いや、分かっている気になって原稿を書いているが、我ながら雲をつかむような話を綴っていると思ったりする。

日本で二元論が成立しない理由

 片仮名で書かれる広義のソフトウエアを持ち込もうとすると、その理想を声高に語るが地に足が付かない人と、「現実は違う」と言い放ち、最初から片仮名を毛嫌いする人に分かれてしまう。なぜ両立できないのか。