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 イノベーションを創出しようと頑張る企業ほど、皮肉なことにイノベーションから遠ざかる。なぜそのような事態が生じるのか。それは、何か新しいことをして現状を打破することがイノベーションだという単純な思い違いがあるからだ。それを解消するため、何がイノベーションか、そうではないのかをはっきりさせることが大切だ。

進歩と異なるイノベーション、社会と生活を変える商業的発見

一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS:International Corporate Strategy)教授 楠木 建 氏
一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS:International Corporate Strategy)教授 楠木 建 氏

 イノベーションは単なる技術の進歩ではなく、社会や生活を変える商業化された発見である。話題のiPS細胞は、社会に対するアウトプットがないため、今のところイノベーションではない。

 オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの定義は参考になる。イノベーションの本質は非連続性とし指摘し、一例として馬車を何台連ねても蒸気機関車にはならないことを挙げている。また、同じくオーストリア出身の経営学者、ピーター・ドラッカーは、イノベーションを「パフォーマンスの次元が変わること」と定義している。

 そうした観点でとらえると、イノベーションを考える際には価値のありように注目すればよいことになる。スマートフォンが従来製品に比べ、軽量化されたり、画面がきれいになったり、バッテリーが長持ちしたりしても、それはイノベーションではなく、進歩にすぎない。技術が進歩を続けていると、遅かれ早かれコモディティー化してしまい、ユーザーに飽きられてしまう。

 その象徴的な例は、飛行機のビジネスクラスのシートのリクライニングの角度だ。以前は135度だったが、航空会社の競争で155度になり、最終的には180度になった。進歩には技術的・物理的な限界がある。リクライニングでいえば180度の時点で終わり。これが215度になっても顧客が価値を吸収できなくなる。

 これに対し、米国の起業家サイラス・マコーミックのケースはイノベーションの典型例だ。マコーミックはコンバインハーベスター(刈り取り機)の特許を発明者であるハイラム・ムーアから取得し、それまで現金がないため購入できなかった農家に割賦販売で売り込んだ。それにより、農家の設備投資が進み、農業生産力が向上し、消費も拡大した。マコーミックの割賦販売によって、農家の行動が変わり、社会が変わった。

ウォークマンとiPodは音楽の楽しみ方を変えた

 進歩はできるかできないかの勝負であるのに対し、イノベーションは思い付くかどうかの勝負だ。顧客の視点で考えれば、進歩は何ができるかに対し、イノベーションは何をするかといった違いがある。

 アップルの共同創業者スティーブ・ジョブズ氏には「ユーザーはこういうふうに音楽を聴くんだ、楽しむんだ」という発想が先にあり、後は徹底した引き算で、余計なものを省いてiPodが誕生した。iPodのデザインがシンプルなのはデザイナーの力というより、コンセプトがシンプルだったことが大きい。1970年代末に登場したソニーのウォークマンも、それまで部屋の中でスピーカーかヘッドホンで聴いていた音楽をどこでも好きなときに聴けるものに変えた。音楽の楽しみ方を変えたという意味でどちらも究極のイノベーションだ。

 成功したイノベーションは新しいカテゴリーとして社会的に定着していく。製品名が一般名詞化することもある。「私のウォークマンは松下製」、iPodの代わりに買ったソニーのネットワークウォークマンを「私のiPodはソニー製」というのはその最たるものだ。

 イノベーションの創出に失敗する背景には、企業が陥りやすい「可視性の罠」と呼ばれる迷路がある。イノベーションはある次元の上で良くなったとかいう話ではないのに、企業は次元の見える技術の進歩を好む。進歩は経営陣にとって意思決定しやすいものだが、イノベーションは既存の価値基準で判断できない。顧客にしても、さらに薄くしてとか、音を良くしてほしいといった進歩を推進する要求をしがちだ。株主に至っては、そもそも見える次元(数字)しか気にかけない。

原材料の数で意思決定は容易、笑い話のような開発競争も

 進歩はイノベーションからはほど遠く、頑張れば頑張るほど成熟化により顧客から付加価値が見えにくくなる。イノベーションに向けて努力するほど、コモディティー化に飲み込まれるという逆説が生まれる。

 一例を挙げれば、アサヒ飲料の「十六茶」がヒットすると、のちに他社から十七茶、十八茶と原材料の数を増やした商品が相次いで登場した。四十八茶を出したのは吉本興業で、ここまでくると冗談だと思うが、二十四茶までは真剣にイノベーションという掛け声のもとに開発が進められたと思われる。意思決定する社長にとって「十六茶に比べてうちのお茶は原材料が多い」というのは分かりやすい。

 イノベーションは個人が描くコンセプトから始まるため、思い付くかどうか、がカギを握る。組織ではなく個人に属するため、組織的なコンセンサスを得られにくい。

 そもそもイノベーションは滅多に起きないという認識を持つ必要がある。これが可視性の罠に陥らないための条件だ。どうやったらイノベーションを起こせるかという問いは、どうすれば宝くじに当たるのかと聞くのに似ており、質問そのものがおかしい。

 頑張るとイノベーションは生まれない。すぐ進歩の方向に向かってしまう。くれぐれもイノベーションは進歩と違うことを肝に銘じてほしい。そして、イノベーションを生み出すためには、組織を挙げて頑張ることはぜひとも避けるべきだ。