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 情報システムの要求獲得プロセスにおいて,ステークホルダ識別は,要求の源泉を特定する上で重要なタスクである.ステークホルダの識別が不十分であると,突発的な要求変更,開発工程での作業の手戻り,使いにくいシステムの開発などの問題が発生するリスクが高まる.こうした問題を解決するために,本稿ではステークホルダ図やステークホルダマトリクスを活用したステークホルダ識別手法を考案し,その有効性について考察した.

1.はじめに

 情報システムの開発において,要求定義は,システム化の対象となる領域が抱える問題を特定し,その問題の解決策を考案し,情報システムを用いて解決策を実現するための方法を定義する重要なプロセスである.費用や納期,取り巻く環境などの条件を加味した上で,問題の特定からシステム開発に至る要求を,合理的かつ最適に導き出すために,要求工学のさまざまな標準や知識体系が提供されている[1],[2],[3],[4],[5],[6].

 筆者の所属する組織においても,そのような標準や知識体系に基づき要求定義を進めることを実践している.たとえば,筆者らは要求定義のプロセスを詳細化し,入力・処理・出力のプロセスからなる作業標準,成果物を記述する仕様記述の雛形,出力された成果物を検証するチェックリストを共有するなどの取り組みをしている.しかし,実際の要求定義は,システム化の対象となる領域,組織が直面する課題,市場・技術・環境などの条件に応じた工夫が必要となる.そのため,初級のアナリストや技術者が要求定義を効率的に進めることは困難である.

 筆者らは,要求定義にはベテランの技術者やアナリストらのノウハウが必要であるとして,彼らの持つ暗黙知を形式知化し共有する手法を考案し実践してきた[7],[8].この取り組みの一環で,要求定義の初期の段階で獲得するステークホルダ要求[6] に着目したところ,ステークホルダの識別にもさまざまなノウハウが必要であることが分かった.ここで,ステークホルダとは,要求,あるいは,要求が定めるビジネスや情報システムに関与する個人,あるいは組織を指す[5].ステークホルダ識別は,要求定義の出発点であり,要求を獲得する源泉であるステークホルダの識別に失敗すれば,獲得できた要求の品質も安定しないことになる.筆者らは,ステークホルダ識別が不十分であったことが要因で,開発での手戻りが発生する問題に直面した.その失敗経験に基づき,ステークホルダ図,ステークホルダマトリクスによるステークホルダ識別の手法を具体化し,その効果を確認したので,本稿で述べる.

 以下,本稿は次のように構成する.第2章では,本稿で取り上げるステークホルダ識別の位置づけを示し,筆者らの組織が直面した問題の例を説明する.第3章では,実際にステークホルダ識別を実施するにあたり,筆者らが取り組んだ手法を紹介する.第4章では,第2章で述べた問題に対して,取り組み中のステークホルダ識別手法を適用した結果を示し,本手法の効果を考察する.第5章では,このような取り組みで得られた教訓を整理し,第6章で本稿をまとめる.