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 2014年9月1日に発足した損害保険ジャパン日本興亜。国内最大規模の損保を支える情報システムは、総工数4万5000人月をかけて統合、構築したものだ。類いまれな巨大プロジェクトの全貌を追う。

 「お疲れ様でした」――。この日ばかりは、聞き慣れたこの言葉にも特別な意味がこもる。2014年8月31日朝、東京・立川にある損保ジャパン日本興亜システムズ(当時NKSJシステムズ)のオフィスで疲労と安堵の混じった声が上がった。そこに設置されたホワイトボードに並ぶ七つの丸は、前日から夜を徹して実施した新システムへの移行と稼働確認が、全てのプロジェクトで完了し、本番稼働の準備がようやく整ったことを意味していた。

 翌9月1日、単体の保険料収入で国内最大となる損害保険会社が発足した。新システムの舞台となった損害保険ジャパン日本興亜である。旧損害保険ジャパンと旧日本興亜損害保険が合併して誕生した新会社を支えるシステムは、大きなトラブルを起こすことなくリリースに至った。

未体験の巨大プロジェクト

 損害保険ジャパン日本興亜が挑んだシステム統合プロジェクトは、合併前の2社にとって「未体験と言える規模」(損保ジャパン日本興亜システムズの小嶋一巳執行役員製造開発本部本部長)。2年2カ月に及ぶ開発期間に動員した総工数は約4万5000人月、ピーク時要員は3000人以上に上る(図1)。

図1●損害保険ジャパン日本興亜が手掛けたシステム統合プロジェクトの概要
図1●損害保険ジャパン日本興亜が手掛けたシステム統合プロジェクトの概要
4万5000人月の巨大プロジェクトに挑む
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 新システムへの移行期にあたる2014年4~9月にはバッチ系で1万5238本、オンライン系で7573本という大量のプログラムをリリースした。

 これだけの規模の開発を成功に導くカギは、プロジェクト管理体制にある。システム開発を担う損保ジャパン日本興亜システムズでは、これまでにない多段かつ横串の連携を考慮した体制を敷いたのだ。統括プロジェクトマネジャー(PM)の配下に約50人で組織する全体PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)を設置。ここでプロジェクト全体の方針や計画を策定する。さらにその下には、実行部隊となる7のプロジェクトと39のサブプロジェクトがぶら下がる。

 各プロジェクト間の連携を円滑にするための横串組織も設置。膨大なテストや移行作業を滞りなく進めるための専門タスクフォースなどを設けた。

 会議の支援やホテル手配、宿泊設備の設置といったファシリティ管理を担うプロジェクトサポートオフィスと呼ぶ専門チームも組織した。技術者たちのモチベーション維持などにつなげるのが狙いである。