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 先日、業界の旧友とゴルフを楽しみました。参加者は大手ソフト会社幹部のOさん、某IT雑誌のP編集長、それに私です。

Oさん「すごいグリーンでしたね。あんまり速いので3パットばっかりでしたよ」
P編集長「でもOさんのショットはさすがでした」

 このメンバーですからラウンド後はいつしか業界談義になりました。P編集長とOさんは初対面でしたので、紹介を兼ねて昔話をしました。実はOさん、野村証券がWindows NTクライアントの大量導入を決めたときのマイクロソフト側の担当者。当時共に現場で苦労した仲間で、導入側の野村総合研究所(NRI)の担当者だった私とはそれ以来の付き合いです。

 現在稼働している大企業の業務システムの多くは、オープン化の流れの中で90年代に再構築が行われています。80年代には日本IBM、日立製作所、富士通、NECの4社が国内の大企業との関係を事実上独占していましたが、90年代は米マイクロソフトや米ヒューレット・パッカード(現ヒューレット・パッカード・エンタープライズ:HPE)、米オラクル、米サン・マイクロシステムズといった新顔の海外企業がそこへ割り込んで入った時代でした。

 新しい技術で業務システムを作り直す過程では、それぞれの現場で想像を絶するやり取りがありました。IT部門とITベンダーとの人間的なつながりが苦しい現場を乗り切る原動力になったことが幾度となくありました。当時はユーザー側もベンダー側もみんな必死でした。今は何でもなく動いているシステムも、導入当初はとんでもないチャレンジだったのです。

 例えば、Oさんと一緒に野村証券へWindows NTを導入したときに、一緒に導入したサーバー製品は完成度がとても低かった。特にWindowsクライアントを管理する「Systems Management Server(SMS)」という製品などほとんどまともに動かない。さらに苦労したのは「Microsoft Mail(MS Mail)」です。

Oさん「確かにあれはだいぶご迷惑をお掛けしました。SMSは後に『System Center』になったわけですが、確かにスタート当初は大規模システムで使う性能が出なかった。MS Mailも当時は、サーバー上で単純にファイルをコピーする仕組みで、大勢がいっぺんに使うとたちまちいろんな不具合が出てくる状況でした」