私がまだ、産業コンサルタントだった1990年ごろの話です。ある大手素材メーカーの会議室で、私は顧客のプロジェクトリーダーからこんなお叱りを受けていました。
「楠さんね。こんなことになったから私は楠さんのレポートを読み直したよ。そうしたら実際に起こったことが全部書いてあった。けれども楠さんから報告を受けたとき、どうしてもそれが頭に入らなかったんだよね。分かんなかったんだよ」
私は何も答えられませんでした。そして深々と頭を下げました。
その大手素材メーカーはそのとき、M&Aでエレクトロニクス事業への新規参入を目指していました。買収を狙った米国のベンチャー企業のフィージビリティー調査を野村総合研究所(NRI)に依頼しており、その担当者が私だったのです。
80年代は日本の社会の成熟化がはっきりと見えてきた時代でした。理工系大学生の人気ランキングのトップは日本電電公社と日本電気。それまでトップに君臨してきた新日本製鉄と主役交代です。重厚長大からエレクトロニクスへの流れが明確になっていました。
重厚長大の素材産業メーカーの多くは当時、新規事業戦略を検討し、新規事業本部であるとかエレクトロニクス事業部といった名称の部署を作っていました。