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ダ・ヴィンチと梅棹忠夫「発想の手帳」

 実際、弟子に言うとおりのことをダ・ヴィンチ自身が実行していた。その証拠がスケッチやテキストがぎっしり書き込まれた、現存するダ・ヴィンチの手帳にほかならない。

 また小説の中のことではあるものの、先のメレジュコーフスキイは、経験を淡々と手帳に記すダ・ヴィンチの姿を描いている。

 フィレンツェの宗教改革者ジロラモ・サヴォナローラが民衆に向けて説教をしている時のことだ。興奮した民衆の中でダ・ヴィンチは「一方の肩で軽く円柱に凭れながら、右の手には、片時も放した事のない手帳を持つて、立つていた」(『神々の復活』)。そして、説教壇のサヴォナローラに目をやりながら、左手でしきりに絵を描いていたのである。

 このように、肌身離さず持ち歩いた手帳に、ダ・ヴィンチは経験、すなわち自分が見て体験し考えたことを絵やテキストとして記した。そしてこれを大切に保存しておき、のちの発想のヒントにした。メレジュコーフスキイの『神々の復活』には、ダ・ヴィンチのそうした様子が如実に記してある。

 また、このメレジュコーフスキイの作品に大いに刺激を受けて、自らも手帳を肌身離さず持ち歩くことを習慣にした人物がいる。民族学者・梅棹忠夫である。比較文明論の大家はこのように書く。

高校生だったわたしには、この偉大な天才の全容は、とうてい理解できなかったけれど、かれの精神の偉大さと、かれがその手帳になんでもかでもかきこむこととのあいだには、たしかに関係があると、わたしは理解したのである。それでわたしは、ダ・ヴィンチの偉大なる精神にみずからをちかづけるために、わたしもまた手帳をつけることにした。
梅棹忠夫『知的生産の技術』(1969年、岩波書店)

 うーむ。高校生で『神々の復活』を読み、ダ・ヴィンチに少しでも近づくために手帳を持つことにしたとは──。また梅棹の場合、その手帳は実用的なメモでも、日常生活の記録でもなかった。梅棹が手帳に書いたのは、経験の中に見出した「発見」である。

 これは面白いと思った現象や自分の着想を記録する。しかもその際に単語やキーワードではなく、きちんとした文章で書くことを常にしたという。ために梅棹は携帯する手帳のことを「発見の手帳」と呼んだ。

 のちに梅棹は「発見の手帳」ばかりか、フィールドノートやフィールド調査の際のスケッチを大量に残すことになる。またより効率的にデータを記録して保存できるよう、オリジナルのカードシステムを開発する。さらにこのカードを並べ替えて文章を作成する「こざね法」というテクニックも編み出した。知の巨人・梅棹忠夫のルーツは、実はダ・ヴィンチの手帳にあったと言えば、言い過ぎだろうか。