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 KDDIの小野寺正会長が通信自由化の軌跡を振り返った。何度も言及したのが通信行政での「公正競争の不在」だ。大きな節目のたびに通信市場に競争原理を持ち込む意義を深められず、政策が後手に回った。このことが市場の停滞感やメーカーの衰退にもつながったと断ずる。

小野寺 正 Tadashi Onodera
小野寺 正 Tadashi Onodera
1948年生まれ。70年3月東北大学工学部電気工学科卒後、日本電信電話公社(現NTT)入社。マイクロ無線部調査役などを経て、84年11月にDDIに入社し、89年6月に取締役就任。常務取締役や技師長兼移動体通信本部長などを経て、2000年10月にDDIとKDD、IDOが合併した新生DDIで代表取締役副社長に就任。2001年6月にKDDI代表取締役社長に就任。2010年12月に田中孝司専務(当時)に社長職を引き継ぎ現職。

自由化30年を迎えた日本の通信政策をどう振り返る。

 同時期に民営化された国鉄などと比べて、日本電信電話公社(現NTT)を民営化する意義が国民に理解されないまま、政策が行われてきたことが残念だ。

 大きな原因は、「通信市場に競争原理を導入する意義を国民にしっかり理解してもらう」という覚悟が監督官庁になかったことだ。だから、肝心なところで「国民の利便性を損ねることはできない」という“逃げ口上”が出てくる。

 1985年に電話市場に競争原理を導入しながら、当時の郵政省は、NTTにだけ「00XY」の事業者識別番号を導入しなかった。郵政省の言い分は「電話のかけ方が変わったら、利用者から苦情が殺到しかねない」という主旨だった。

 一時的な不便があっても、「競争で電話料金が安くなる」「多様なサービスが受けられる」と、自由化の意義をきちんと説明すれば、一時的な混乱はすぐ終息しただろう。実際に韓国やブラジルなどはそうして通信自由化を迎えた。

 ところが電話市場が縮小を始めた段階で、総務省は電話会社を事前に選ぶ「マイライン」制度を2001年に導入した。IP時代の競争を議論すべき時代なのに、制度見直しの時期の悪さにあぜんとした。

 国営だった通信市場を開放するならまずルールの整備が先決だったが、「公正競争とは何か」を十分に議論しないまま、新規参入を呼び込み競争原理だけを導入した。その後に遅きに失した政策の転換で、業界全体を疲弊させてしまった。政策の一貫性が欠けている。