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お客様は神様です──。システム開発から、この言葉は消えるだろう。PM義務を果たすべく、大手ベンダーは早期のリスク評価に動く。ユーザー企業自身も「リスク」の一つ。ドライでもなれ合いでもない。受発注者の関係は、より成熟したものへと変わりつつある。

 情報サービス産業協会(JISA)は2015年末から16年初頭にかけて、「法務・契約ハンドブック」を8年ぶりに全面改訂する。スルガ-IBM裁判などの判決確定を受けてのものだ。

 JISAの知財・法務委員会メンバーであるJSOLの筒井邦恵法務チームマネジャーは、「今回の裁判で、(ベンダーは)システム開発のプロとして顧客をリードしなければならないことが明確になった」と振り返る。

 ハンドブックは、プロジェクトマネジャーやSE向けの研修、学習用途で出版するもの。2008年に出版した際は2万部を発行している。JISA 企画調査部の茂木智美調査課長は、「今まで以上にコミュニケーションが必要になる。社員の教育に役立ててほしい」と語る。

 良く言えば「以心伝心」、悪く言えば「なれ合い」。スルガ-IBM裁判を通し、ユーザー企業とベンダーのこうした関係は通用しないことが改めて明らかになった。特にベンダーにとって影響は大きい。

 中止の提言やリスクの告知を怠れば巨額の損害を被る。しかも契約前の提案・企画段階も対象に含まれる可能性がある。「顧客の要望は叶えるのが基本」と、ユーザー企業を“お客様扱い”していてはPM義務を果たせない。受発注者の関係は新たな段階に移りつつある(図2)。

図2 受発注関係の新時代
なれ合いからの脱却が進む
図2 受発注関係の新時代
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顧客の状況を品定め

 プロジェクトのリスクを互いに合意することを最優先事項とする。あるべき受発注者関係を一言でいえばこうだ。顧客を巻き込んだ対策を練ることができれば開発成功への道筋を付けやすい。逆に合意形成ができなければベンダー側が断るという選択肢もあり得る。

 顧客がベンダーを吟味するだけでなく、ベンダーも顧客を「品定め」する。JISAは2015年1月、ベンダーが受託開発を引き受ける際の確認項目をまとめた「ソフトウェア開発委託における受注チェックシート」を公開した。

 「顧客の特性(進め方、要求度合い、判断・決定のレスポンスなど)を考慮しているか」といった項目も含まれる。「顧客との合意形成を密にするためのツール。契約前に項目を確認し、プロジェクトの円滑化に役立つはずだ」とJISAの茂木調査課長は語る。

 NTTデータの岩本敏男社長も考えは同じだ。「顧客のビジネス目標と体制、事業部門の主要人物がプロジェクトにかかわっているか。人材や予算をきちっと確保してもらえるか。こうしたコミュニケーションを最初にしておくのが欠かせない」(岩本社長)。

プロジェクトの憲法を共有

 NECの遠藤信博社長は、「最初に顧客の要望を徹底的に理解すること。ここに時間を費やす必要がある。不透明な部分や隠し事があっては、最後に係争関係に陥ってしまう場合すらある」と改めて強調する。

 スルガ-IBM裁判を機に、受発注者間での意識の食い違いをなくそうとする機運は、以前にも増して高まっている。

 NECが重視するのは、早い段階でプロジェクトの大方針を顧客と共有できるかどうかだ。PMの経験が豊富な製造・装置業システム開発本部の福岡俊一本部長は、「プロジェクトの憲法」と表現する。例えば、業務標準化を伴うシステム更改の場合、最優先事項は標準化をやり切ることか、稼働時期を順守することか、を明らかにしてもらう。

 「顧客の責任者とプロジェクトの憲法を合意できるまで前に進めるなと指示を出すことが増えた。ここがぶれた瞬間、失敗の危険性が高まる」(福岡本部長)。

 NRIが見るのは、利用部門の関与度合いだ。沢田副社長は、「RFP(提案依頼書)の段階で利用部門が交渉に出てくるユーザーは安心」と説明する。利用部門が最初から積極的に関わっていれば、後工程で意識のズレが発生する可能性を抑えられるという考えだ。

契約前でもリスクをチェック

 リスクの合意形成は早ければ早いほうがいい。「テスト工程で明らかになるリスクは単なる危機。その時点で報告しても、顧客が納得するはずがない。提案段階から案件開始後数カ月の間で、いかに洗い出せるかが勝負」(NRIの沢田副社長)。

 同社は2014年10月1日、証券ソリューション事業本部など主要部門内に「プロジェクトリスクマネジメント部」を新設。全社横断組織であるプロジェクト管理部門の目が届かない案件を網羅する体制を整えた(図3)。リスクを管理する対象には、企画・営業、受注・契約といった案件開始前の工程を加えている。

図3 野村総合研究所が推進するリスク管理強化策
契約前からリスクを洗い出す
図3 野村総合研究所が推進するリスク管理強化策
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 NRIの沢田副社長は、「最近の失敗案件のほとんどは最初のボタンの掛け違い」とし、「提案段階や受注後のプロジェクト計画書を作る段階でリスクを開示するのがIT業界のこれからの責任」(沢田副社長)と言い切る。

第三者ベンダーが品質評価

 受発注者間のなれ合いを廃してリスクの共有を深めるため、第三者の視点を取り込もうとする動きも広がりつつある。

 SI商談やプロジェクト監査を統括する富士通の松井和男アシュアランス本部長は、顧客からの要望を受けて「第三者による品質評価をプロジェクトに入れる案件が増えてきた」と話す(図4)。「従来はプロジェクトの当事者である開発部隊が品質を評価し、報告するケースがほとんどだった」(松井アシュアランス本部長)。第三者とは別のベンダーや事業部隊ではない富士通の組織を指す。

図4 富士通でのシステム開発の変化
第三者の視点が不可欠に
図4 富士通でのシステム開発の変化
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 リスクの把握を開発現場だけに任せない仕組みも徹底させている。富士通では2013年、1カ月に一度開催するプロジェクト審議会と呼ぶ会議を設置。リスクが高いとみられるプロジェクトを選定し、担当部門の役員を交えて10~20人で対策を審議する場だ。松井アシュアランス本部長は「状況改善のため、顧客への依頼事項などに上位者が出向くといった対応が取りやすくなった」と話す。

 スルガ-IBM裁判の当事者だった日本IBMも外部の視点に重きを置き始めた。同社は第三者機関に委託し、定期的に顧客の満足度を確認する。プロジェクト単位で実施することもあるという。顧客との間で認識のギャップが生じていないかをチェックし、必要があれば改善に役立てるのが目的だ。「特にここ最近力を入れるようにしている」と、大規模システム開発のプロジェクト責任者などを務めてきた山口明夫専務執行役員は説明する。

 ユーザー側も客観性を重視する。花王は2014年、情報システム部門ではなく全社購買部門がIT関連の発注権限を担う体制にした。「開発の人間が気づかない点をチェックしてもらえる」と、安部真行執行役員は話す。システムごとに特定ベンダーと付き合うケースが少なくなかったが、複数ベンダーに入札を募ることが増えた。初めて付き合うベンダーとは、まず要件定義の契約を結んで実力を見極めるといった工夫をしているという。

ささいな不手際も「重過失だ」

 プロジェクト失敗を防ぐために受発注関係を見直す動きが拡大する一方、スルガ-IBM裁判に対する過剰反応も出ている。責任逃れとも言うべき反応が横行し始めているのだ。

 「有利な条項を何とか盛り込もうとするベンダーが増えた。特に何でも準委任契約にしようとする傾向が強い」。スルガ銀の代理人を務めた日比谷パーク法律事務所の上山浩弁護士は、こう明かす。ベンダーが成果物責任を負わない準委任契約なら、万が一プロジェクトが破綻しても紛争時のリスクを減らせるという思惑だ。

 責任逃れに走るのはユーザー企業も同じ。ある大手ベンダーの法務担当者は、「こちらに少しの不手際があれば、重過失があったと議事録に書くよう迫る顧客もいる」と嘆く。

 ただ責任を押しつけ合うだけの関係に未来はない。こうした事態がまん延するのを防ぎつつ、プロジェクトの初期段階でのリスクの合意形成を慣習化できるか。ユーザーとベンダーの双方に関係の再考を迫っている。

ユーザーに同等の責任を期待するのはベンダーの誤解

日比谷パーク法律事務所の弁護士 上山 浩 氏(スルガ銀行の弁護を担当)

 (日本IBMに74億円の賠償を命じた)1審判決が100対0の責任分配だったとすると、2審判決は6対4の決着。大局的には両者が相応のリスクを分担すべき関係にあったことを重視し、バランスをとった判断だったと考えている。

 スルガ-IBM裁判の影響を受けて、三つの副作用が出ている。一つめは、リスクを回避するために、とにかく有利な条項を盛り込もうとするベンダーが増えたこと。二つめは、議事録の重要性が明らかになった結果、自社に有利な記録を残そうとする行為が広がっていること。三つめは、ベンダーが何でも準委任契約にしようとすることだ。

 裁判所は実態で判断する。バランスを欠いた条項や実態とかけ離れた契約は、そのまま適用されるわけではない。形式的ではなく、具体的な役割分担に力を割くべきだ。

 ベンダーに誤解があるのは、ユーザー企業には自分たちと同等の責任があると考えている点。ユーザー企業が協力義務を履行するには、開発状況の詳しい情報を所有するベンダー側からの開示がなければ難しい。そもそも裁判所はベンダーをプロとして高い義務を負うという認識で見ている。(談)

ユーザーの経営トップに成熟を促す好機

牛島総合法律事務所の弁護士 牛島 信 氏(日本IBMの弁護を担当)

 裁判所はシステムの現場をIT関係者が思っている以上に理解している。東京高等裁判所は、議事録で日本IBMが謝罪的言葉を述べていることに関して、落ち度があった事実を推認させる根拠にはならないとした。受発注者の力関係を踏まえたものだろう。議事録の重要性が下がるわけではないが、少なくとも表面的な内容はあまり大事ではない。裁判所はより実態を見るようになっている。

 システム開発は家造りとは違う。企画、提案段階での予測はきわめて難しい。双方がそれを理解したうえで、話し合って合意していくものだ。ユーザー企業のトップがこうしたシステム開発の特性をしっかり理解していることは少ない。それが紛争に発展する一つの要因だ。トップが現場の担当者に無理を押しつけ、担当者はトップを納得させるためにベンダーに難題を強いる。これでは、システム開発が円滑に進むことはない。

 今回の裁判はユーザー企業の経営トップに成熟を促す好機だ。ITは経営に欠かせない知識。トップ自身がしっかりと理解するか、ITの特性を理解しており、最も信頼できる部下をシステム開発の責任者に充てるかしなければならない。(談)