1960年代から中堅中小企業の情報化を促進してきたオフコン。今も1万台以上が稼働する。NEC、日本IBM、富士通のオフコン3強のうち、NECが撤退を決めた。ユーザーの反響は大きい。富士通や日本IBMは事業継続を強調するが、オフコン市場がかつての隆盛を取り戻すことは期待できない。オフコンにとどまるユーザーは何を思い、どこに向かうのか。(井上 英明)
オフィスコンピュータ、略してオフコン。日本ベンダーが独自アーキテクチャーで作り上げた小型コンピュータは、1960年代から1990年代に全国の中堅中小企業や工場の情報化を後押しした。
数十のベンダーが市場に参戦。オフコンを売り、その上でシステムを構築する販売店(ディーラー)網を築いた。
最盛期の1990年代、シェア3割を握る富士通は「累計50万台出荷に沸いた」(神尾彰一エンタプライズシステム事業本部基幹サーバ事業部オフィスサーバ開発部部長)。トップを争うNECは「年間8万台を出荷していた」(本永実パートナーズプラットフォーム事業部長代理)という。
2強に割って入ったのが日本IBM。1988年に「AS/400」を投入し、「椎名武雄元社長の号令で中堅市場を開拓した」と久野朗IBMシステムズハードウェア事業本部ハイエンド・システム事業部Power Systems部長は話す。
だがWindowsサーバーの登場で市場は一変する。オープン化の波に抗えないベンダーは「既存資産を守り続ける」として、オフコンOSをWindowsや汎用CPUで動作できるように改変し始めた。
その後、採算が合わなかったり、新技術に技術者を振り向けたりするため、各社は撤退を選んだ。1990年代に東芝と日立製作所が、2015年にNECが最終機を出荷。IDC Japanによれば、年間出荷台数は2000年の1万台から、2015年は1000台にまで落ち込んだ(図1)。
赤字事業を撤退するのは理解できる。ただ数十年間使い続けてきたユーザーの困惑は大きい。
ユーザーは低コスト・高品質でシステムを維持したいが、技術は永遠ではない。レガシー化して選択肢が減る前に、決断が必要だ。
困惑する古参ユーザー
「40年近く当社の基幹業務を支えてくれたNECのオフコンには感謝しかない。ただ、移行パスが示されず、今後に不安を感じているのは事実」。紡績糸を製造・販売する新内外綿(大阪市)で営業戦略室課長兼業務部課長(内部統制・IT)を務める安田修治氏は、複雑な表情を浮かべる(図2)。
社員36人の同社は1979年以降、NECのオフコン上で営業や販売、在庫、生産、物流など、基幹業務を支える各種の管理システムを構築してきた。全社システムの7割がオフコンで稼働し、本社と支店で稼働する2台のオフコンは6代目だ。
ここ10年、ハード故障は無いという。保守料は年間100万円以下。業務に大きな変化がなく、「パッケージ移行は費用対効果が出ない」(安田氏)。安田氏と社内SEでアプリケーションの保守を続けている。
安田氏は2000年を過ぎると、NECのオフコン撤退のうわさを耳にするようになった。2011年9月、代理店からNECがオフコンのOS「A-VX」の開発を打ち切ると聞かされた。
「とうとう来たか」。予想の範囲内で、驚きは無かったが、焦りが残った。「いち早く伝える姿勢は良いが、一番大切な『次にどう移行するか』が示されなかった」からだ。
安田氏はNECにつてがない。販売店に移行パスをNECに尋ねるよう依頼したが、「答えられる窓口がNECにはない」と回答されたという。では直接聞けるところはどこか。安田氏はNECのユーザー会を頼った。
「A-VXのユーザーと今後をディスカッションする場を設けてほしい。できたらそこでNECからアドバイスもほしい」。安田氏は事務局にメールでこう提案した。だが、事務局のNEC社員に採用されなかったという。
基幹業務を支えるシステムを止めるわけにはいかない。インターネットでA-VX資産を移行するサービスを手掛ける東京システムハウスを見つけ、2013年に試験的に勤怠管理システムを英マイクロフォーカスのオープン系COBOL製品に移行した。
今後、基幹系システムをどう移行するのかは「年内に結論を出したい」(安田氏)。NECのオープン系COBOL製品は既存資産と親和性が高いが、「利用料も高い」(同)。NECオフコンの簡易言語「SMART」で大量に作った帳票もある。数千万円単位になるプロジェクトの方向性に悩みは尽きない。
「利用者による開発体制」に存続の危機
東京・渋谷のある大学は、NECのオフコン終了で、職員に教え込んだ開発技術を失う危機に面している。同大学は1992年にベンダーから転職した2人が中心となり、ほぼ全てのシステムをオフコン上で内製してきた(図3)。
「大きな障害は無く、処理速度も速い。年間保守料は160万円で、パッケージを使ったシステムと比べて1ケタ少ない」。システム部長となった転職者の一人はこう話す。
システム部長は2012年10月頃、オフコンの出荷停止を、オフコンユーザーが集まる個人運営のWebサイトで目にした。同大学の販売店に真偽を確認したが、「いつまでに何がどうなるのか、販売店も詳しく知らなかった」(システム部長)。
システム部長はNECが販売店に2011年8月に配布した資料を入手。そこにはNECのデータセンターのサーバー上でユーザーのA-VX資産を稼働させる「A-VXクラウドサービス(仮称)」を提供するとあった。
2013年6月と12月に販売店が同大学を訪れ、販売停止を改めて説明。「NECからのお知らせを持参するだけで、相談しても具体的で現実的な移行案が示されなかった。クラウドサービスの存在も消えていた」(同)。
同大学は教務課が使う基幹系システムをパッケージに移行する予定だ。入試システムは2014年にオープン系COBOLに移行したが、「開発メンバーが高齢化しており、パッケージ導入を軸に検討しなくてはいけない」(同)。
悩ましいのが、職員による帳票やアプリケーションの開発体制の行方だ。システム部は1992年から職員に技術教育カリキュラムを提供しており、10人以上のCOBOL開発者と60人以上のSMART開発者を育てた。
「20年以上、現場がシステム部門に依頼せずに必要な帳票などを開発してきた。オフコンを無くせば、業務効率が落ちるのは間違いない」(同)。解決策はまだ見えていない。
撤退を機に訣別するユーザーもいる。社員26人で、制服の製造・販売を手掛けるベスト(東京・文京)だ。吉川五一郎社長は「もう怒っていない。(NECのオフコンとは)離れたから」と話す(写真)。同社は1998年頃に三菱電機のオフコンからNECのオフコンに乗り換えた。2014年頃に販売店の日本事務器がオフコン撤退を説明に来たという。
「オフコン延命によるリスクは私がオーナーである今、解消させる」。吉川氏は即断してオフコン延命を選ばず、汎用サーバー上のオープン系COBOL製品への移行を選んだ。
吉川氏は「中国子会社などを見て思うが、中小企業はパッケージを使うのが世界の潮流」との認識だが、パッケージ移行は選ばなかった。「SEのいない当社の責任か日本事務器の責任かは分からないが、利用部門のあらゆる要望を満たすシステムを長年作り込んできたことが壁となった。もうパッケージの標準機能では業務が回らない」(吉川氏)。
「コミュニケーション不足があった」
自社のオフコンユーザーの現状をどう考えるのか。NECの本永氏は「600社の販売店とともに、顧客に寄り添い、最後の1台までパッケージやオープン環境に移行するという考えでやってきた。」と答える。
NECは2008年からオフコンのリスクが高まることを販売店に伝え始め、2013年12月には新規出荷停止が決まったことを伝えた。「自社開発のユーザーは販売店との接点が少なく、情報が行き届かなかった可能性がある。一部のお客様とコミュニケーションが不足していたのは反省する」とした。ユーザー会に関わる件は調査したがそうした記録は見当たらず、A-VXクラウドサービスは結果的に実現しなかった、とした。
本永氏は「撤退したという認識はない」と強調する。最後のマシンの出荷は終えたが、ハード保守は2020年6月まで、OS保守は2023年1月まで継続するからだ(図4)。
NECは2000~3000台のオフコンが稼働する中、Windows Server 2012上で稼働できるようにA-VXを64ビット対応させる改修を見送った。「専任技術者は減っているが、兼任者を含めて保守体制は維持している。CEが顧客から回収したオフコンや周辺機器を分解し、部品単位で再利用しているし、顧客が困っていれば最大限応えていく」(本永氏)。
「NECの現稼働台数の25%が当社の顧客」と話す日本事務器。ピーク時は1万数千台のオフコンユーザーを抱え、「オフコン撤退には何度も強く抗議した」と同社の高井俊彦事業推進本部ITプラットフォームソリューション企画部長は明かす。「今回、当社顧客の200社がオフコンの最終モデルを買った。発注数が予想以上でNECは在庫不足に陥り、納期が5カ月遅れた」(高井氏)。
同社は保守期限を迎えるまで、A-VXが動作するクラウドサービスを提供する。延命措置であり、その間にパッケージや.NET、Java、COBOLなどへの移行を促す。移行の難しさや費用を見極めるための診断サービスも2017年から提供するという。
東京システムハウスの清水誠取締役ビジネスイノベーション事業部長は「2014年以降、NECユーザーからの問い合わせが急増した」と話す。「保守期限まで使うユーザーが多いだろう。移行ニーズはまだ続く」(清水氏)。
富士通とIBMは継続投資
主要オフコンメーカー3社のうち、残る富士通と日本IBMは「今後もオフコンに積極的、継続的に取り組む」と言い切る。三菱電機も2016年にオフコンの最新機種を出荷した。
富士通のオフコンは7000台(本誌推定)が稼働しており、事業も黒字という。神尾氏率いるオフコン部門は今年、中核人材を50代から40代に若返らせ、「会社に2030年まで開発を維持する体制を約束させた」(神尾氏)。
同部署は3年かけてオフコンOS「ASP」が稼働するクラウドサービスを開発し、2014年から提供している。古河電池など100社近くが既に使い、2017年には同社のクラウドサービス「K5」とデータ連携させる予定だ。
日本IBMの久野氏によればIBM i(AS/400のOSであるOS/400の現名称)は世界で15万社が使い、今も微増中という。「バージョンアップしても資産をそのまま使えることや、2世代先までOSのロードマップを開示していることが顧客に支持されている」(久野氏)。IBM iの画面をタブレット端末でそのまま表示するといった機能拡張も続けている。
日本のIBM iユーザーは世代交代が進む。「IBM iユーザーは国内1万社だが、導入を進めてきた“ファン”は高齢化で退職しつつある。そうした企業の7割は『全部面倒をみてほしい』と話す」。マイグレーションビジネスに強みを持つNCS&Aの小路口謙治取締役執行役員常務はこう話す。
同社はIBM iユーザーのAMO(アプリケーション・マネジメント・アウトソーシング)を獲得すべく、専門部隊を2015年4月に発足、資産の可視化ツールも開発した。既に数社のAMOを受託している。