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 「応用ソフトウエアに心配はない。これから米国をしのぐものができても不思議ではないと思う。人件費が安い。普通の事務処理用プログラム1ステップの値段は日本は200~300円だが、米国では5ドル(1800円)につく。したがって輸出のチャンスにも恵まれる」

 日経ビジネス創刊号(1969年10月号)の『日本のソフトウエアはここまで来た』という記事にこの一節があると、日経コンピュータの原隆記者が書いていた(『iPhoneを買ったら偽物だった』)。

 原記者がiPhoneの偽物をつかまされた下りは楽しく読んだものの、冒頭の引用文が出てきた所で考え込んでしまった。筆者は記者活動30年目に入る本年、ソフトウエアについて書くと年初に宣言した(『ソフトウエア、それが問題だ ~ Software matters』)。国際競争力の話は避けて通れない。

 『日本のソフトウエアはここまで来た』という記事から45年経ち、日本はどこまで来たのか。ソフトウエアについて、どの程度の国際競争力を持っているのか。

 この主題はしばしば論じられてきたし、筆者も何度か書いた記憶があるが、それらをあえて参照せず、原記者の記事を読み終えて頭に浮かんだことだけを書いてみる。30年間コンピュータ産業やソフトウエアについて取材してきた記者が今こう考える、という報告としてお読みいただきたい。本稿に出てくるソフトウエアは、主としてコンピュータ上で動かすプログラムを指す。

「輸出のチャンス」を生かせず輸入が盛んに

 1969年の日経ビジネス誌上で「応用ソフトウエアに心配はない」「輸出のチャンスにも恵まれる」と述べた中嶋朋夫氏は、日本でソフトウエアの事業に取り組んだ草分けの一人で、当時は日本EDPの役員を務めていた。

 日本EDPをやや乱暴に紹介すると、その設立主旨は今日で言うクラウドコンピューティングサービスを東京タワーから提供しようというものであった。顧客は自分のコンピュータを持たなくても、日本EDPが東京タワーの中に設置したコンピュータを使って業務を処理できる。業務を処理する応用(アプリケーション)ソフトウエアは、日本EDPが開発する。顧客と日本EDPの間は、電波を使って結ぶ。

 残念ながら、この構想は当時の技術では実現できなかったが、日本EDPはいわゆる独立系ソフトウエア会社群の母体になった。日本EDPの出身者たちが相次いで起業したからだ。これに対し、コンピュータメーカーが設立したソフトウエア会社をメーカー系、コンピュータを利用する製鉄会社などが設立したそれを、ユーザー系と呼ぶ。

 「輸出のチャンスにも恵まれる」という発言は1969年当時、コンピュータ関連の仕事に就いていた人々の意気込みを示したものだ。将来は「米国をしのぐ」ソフトウエアを作り、海外へ売り込もうと夢みて、ソフトウエア開発会社を設立した人々がいた。日経ビジネスから引用した発言を見ると「日本の人件費が安かったからチャンス」とも読めるがそれだけが「しのぐ」理由ではなかったはずである。

 45年経ってどうなったのか。一国のソフトウエア力は輸出額だけでは測れないとはいえ、それは重要な尺度の一つである。そして、日本のソフトウエアの輸出は、残念な状態にある。汎用のソフトウエアをあらかじめ開発しておく、いわゆるパッケージソフトウエア製品については長年、輸入超過である。

 日本にいるソフトウエア技術者が海外企業に対し、ソフトウエア関連サービスを提供し、対価を受け取る“サービスの輸出”についてはほとんど実績がなく、逆に人件費が日本より安いインドや中国からサービスを輸入している。

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