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「自分でやれることをやってみる」には

 心の調子を崩している原因を除去できない場合、「心が折れても立ち向かっていく方法」の二つめを検討する。困難なプロジェクトをひとまず受容し、自分でやれることをやってみる。

 仕事のプロジェクトに忙殺されていても、家庭のプロジェクト、趣味のプロジェクトの時間をなんとか捻出し、取り組んでいくことは不可能ではない。家庭のプロジェクトに忙殺されていても、仕事や趣味のプロジェクトの時間を捻出し、取り組むことは不可能ではない。

 忙殺は「忙しさに殺される」と書く。死にそうなのに他のことなどやれるのか、という疑問はもっともだが、頭の中で何かを考えることならできるのではないか。

 個人は誰であっても複数のプロジェクトを抱えている。それぞれの目的を考えてみる。複数のプロジェクトがあるから複数の目的がある。一つのプロジェクトが複数の目的を持つ場合もある。目的が大きいので、そこに至る過程に複数の目標を設定し、目標を一つずつ達成していき、最後に目的に到達する、というやり方もある。

 複数の目的や目標を思い浮かべていると色々な気付きがある。難航しているプロジェクトの目的のうち一つは別のプロジェクトで達成できるかもしれない。ある目的は諦めるとしても、こちらとあちらの目的を達成できればそれでいい、と割り切れるかもしれない。

 たった一つの目的に集中し、「これができなかったら何もかも終わりだ」などと思い詰めていると万一、その目的が達成不可能になったとき、危険である。

 あれこれ考えたら、行動してみてはどうか。難航しているプロジェクトに対してでも、それ以外のプロジェクトでも、どちらでもよい。やる気が無くなりつつあるわけだから、やる気をそれほど必要としない、小さいこと、簡単な行動でよい。

 ある資格を取ろうとしているのであれば参考書を寝る前に30分だけ読む。疲労困憊で無理であれば昼休みに読む。昼休みにもプロジェクト現場から外に出られないのであれば、問題解決に何の役にも立たない形式的定例会議の間にこっそり読む。

 崩壊しつつあるプロジェクトの渦中にいて気付いた教訓をメモに書いてみる。残念ながらそのプロジェクトにおいては役に立たないが、次にどこかでプロジェクトに関わるときに貴重な教訓になるだろう。ややこじつけになるが、それができれば失敗プロジェクトで辛酸を舐めた経験はまったくの無駄ではなかったことになる。

 一人で考え、少しずつ行動したところで、火事に近いプロジェクトが鎮火するわけではない。それでも火事場に居続けなければならないとしたら、何らかの心の支えが欲しくなる。信仰や祈りの話になると荷が重いのでもう少し身近な例を考える。

 例えば先輩、友人、家族と話をする。話をする余裕すらない場合、仮想の世界で対話をする。感銘を受けた書籍の一節、尊敬している先達の発言などを手帳に書き出しておき、時々引っ張り出して眺めてみる。

 自分が今、逃げられなくなっているプロジェクトなどとは比較にならないほど悲惨なプロジェクトの渦中にあって、絶望せず、といって楽観もせず、乗り切った偉人の伝記などを思い出してみる。