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「巨大構造物は維持し続けられない」

――「新国立競技場」の整備計画について槇さんが提起された問題点の本質は何でしょうか。

 施設が巨大すぎるという景観面もありますが、より大きな問題は、あの場所に存在しても皆が日常的に楽しめる施設にはならないことです。屋根を架けてすら年間60日ほどしか稼働しない。屋根がなくスポーツだけの用途となるとさらに稼働率は下がります。残りの300日は沈黙している巨大な構造物。そういう施設が東京の真ん中にあって、皆が幸せか、ということです。

 東京オリンピックの開催時ではなく、ポスト五輪における都市施設の問題です。また、非常時に8万人が安全に避難できるのかという問題もあります。

 そういうことを建築家ですらあまり言わない。気が付いていないとすると問題だし、気が付いていても言わないのだとすると、それは日本人的な遠慮があったのかもしれません。それでも建築家ではない人たちが声を上げると、ツイッターとかフェイスブックであっという間に反対意見が広まりました。非常に面白い社会現象でしたね。

――2015年7月にいったん白紙撤回になり案が見直されました。新たなプロポーザルによる見直し計画をどう評価していますか。

 整備計画の白紙撤回後、遠藤利明五輪担当相にヒアリングに呼ばれたとき、槇チームとして「神宮外苑に8万人の集客施設はつくるべきではない」と申し上げました。ポスト五輪を考えるとロンドン五輪と同じ4万~5万人程度の規模がよいのではないかと伝えましたが、提言は採用されませんでした。ですから、300日沈黙している巨大構築物の安全や景観の問題は残ったままです。

 計画見直しのプロポーザルについては、決して世界に誇れるプログラムではないですから、設計競技としても一流とはいえません。1927年の国際連盟のコンペのときにル・コルビュジエが問題としたのは、モダニズムとクラシシズムの戦いですから、コンペ結果に対するはるかに次元の高い議論です。今回のA案とB案のどちらが日本らしいかなどといった議論は、建築の根本の話ではないですから、私は関心がありません。

――新国立競技場について独自のアイデアを提案しています。

 これからの日本の税収を考えると、巨大構築物の維持につぎ込める余裕はなくなります。数十年後に維持管理が難しくなってしまうなら、何百本も杭を打って永久に残るものよりも、壊しやすいものをつくっておいたほうが本当はいい。そういうことを考えるべきだと思います。

槇総合計画事務所が2014年に提案した「2070 旧国立競技場」(資料:槇総合計画事務所)
槇総合計画事務所が2014年に提案した「2070 旧国立競技場」(資料:槇総合計画事務所)
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 「Another Utopia」(新建築2015年9月号)というエッセイで、「2070 旧国立競技場」というフィクションを描いています。50年後に巨額の維持管理費を支払えなくなった結果、競技用のトラックと1万人の芝生の観客席のみが残されるというシナリオです。それ以外のオープンスペースは、大人も子どもも楽しめるスポーツ広場です。2020年に撤去された集合住宅も、再構築されることを描いています。オープンスペースが、知的考察の対象になり得るのではないかという提案です。

 エッセイの中でも書いていますが、日本は人口減少時代に入って、都市空間にもボイドが増えていく可能性があります。スケールの大小はありますが、オープンスペースの在り方について、もっといろいろな人が発言する場があればよいと思います。