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 こうして仕出し弁当を手作りするケータリング部隊を指揮することになった。勤務地は今までの本社から一駅離れた弁当工場兼営業所である。弁当工場にはシステムテストの立ち合いでよく訪れていたものの、常勤となると勝手が違った。

 弁当工場はそれまで私が体験してきた職場とまるで異なっていた。パートの女性、調理担当、ケータリング担当、営業担当、そこで働いている人間は皆、良くも悪くも一癖ある人達だった。私の仕事は受発注、人事や勤怠、業務全般、そして設備の管理であり、ケータリングに関わること全てに及んでいた。

 工場はまさにブルーカラーの世界だった。今までどちらかといえばホワイトカラーと呼ばれる人たちと付き合ってきただけに戸惑いは大きかった。価値観が違うとでも言うのだろうか。

 目を見張ったのは「やらなければならない」時のパワーである。急な注文が入ったり、大量の発注があったりした時など、納品日の前夜からほぼ24時間、ぶっ通しで働き続けることもあった。実にタフに、お客様の注文に応え続けた。

 現場はどうしてもお客様の都合や受注量に応じて動かざるを得ない。やむを得ず徹夜作業になったとしても彼らは当たり前のようにやり抜いていた。私も現場の一員として入り、料理の盛り付けや配送補助を夜明け前から一緒に手伝った。40代に入り、体力の面では少々しんどかったが、初めての仕事だったせいか、案外新鮮だった。

「違う!」「邪魔だ!」「どけ!」

 盛り付けの手伝いをするために早朝、盛り付け場に初めて入った時のことを時々思い出す。少し薄暗い空間に白衣の集団がいて、黙々と作業していた。何をどうしてよいのか分からず立ち尽くしている私に、パートの女性が「これ!」と言って食材の入った金属性のパットを手渡した。

 お礼を言って弁当の器が並べられている盛り付け台に向かった。だが、盛り付ける順番も、綺麗に見せるためのやり方も、何も知らない私はどうしてよいか分からず、またしても立ち尽くすしかなかった。

 事務所で私の部下になった社員が私と同様に手伝いに来ており、彼が色々と教えてくれた。後に工場の業務分析を行う際、彼は私の右腕として活躍してくれることになる。

 盛り付けを始めると、今度は隣で別の食材を盛り付けているパートの女性から「違うわよ!」と怒られた。見よう見まねで皆の真似をして、足を引っ張らないように心がけた。調理担当は調理が終わると一緒に盛り付けを手伝っていた。

 このように出荷に向けて皆、黙々と作業をしていた。何も知らない当時の私は彼らの働きぶりを見て、暗黙のうちに生産性を高める仕組みができていることに感動すら覚えた。ただし、慣れてくると属人性が高く人によって業務の品質にばらつきがあることに気付いた。

 もっとも、そのあたりのことを細かく指摘しても、受け入れる土壌が育っていなかった。このとき現場で感じた諸々が、新工場での受発注と生産の新システムを設計する際に生きることになる。ただ、それはもう少し後の話である。